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太平楽・楽人と呼ばれる題材を彫刻として載せている山車に半田亀崎西組花王車と武豊長尾部上ケ区宮本車があります。今回はこの太平楽・楽人の彫刻を比較し、紹介してみましょう。 先ず、太平楽と楽人についてお話しましょう。「太平楽」というのは雅楽の楽曲の一つで舞があり、中国風の鎧兜の武装で四人で舞われます。「万歳楽」と組んで天皇のご即位式の饗宴に舞われるもので、大変おめでたい曲とされています。「楽人」とは雅楽の演奏者のことで伶人とも呼ばれます。 さて、花王車と宮本車の太平楽・楽人ですが双方とも壇箱の彫刻として彫られています。花王車のものは立川和四郎冨昌の作で、宮本車のものは新美常次郎・彫常です。彫常は多くの山車彫刻を立川を意識して彫ったとされます。中には題材、図柄等同じものもありますが、この太平楽・楽人は図柄が異なります。そうした点に注目し、立川に対する彫常の対抗意識を垣間見てみましょう。 半田亀崎西組花王車の太平楽・楽人(立川和四郎冨昌 弘化3年) 花王車の太平楽・楽人は御殿造りの壇箱を生かした彫刻といえます。御殿造りの壇箱とは上部を斗組で飾り、奥まった箱状の部分には障子がはめられます。また下部の縁を欄干で飾るのも特徴です。単独に彫られた個々の彫刻が置かれるのも特徴です。他に七福神とかあります。 亀崎の他の四輌のものはこうした造り ではなく壇箱全体に彫刻が彫られています。これらは奥まで彫刻を施すことができるのが特徴です。 御殿造りは宮中の御殿を思わせ、そうしたことを考慮して楽人を彫ったのではないかと思います。奥行きが浅い、御殿造りでも奥行きを持たせるため、正面の楽人を後ろ向きにし、三人の楽人が車座になって演奏しているようにした点に工夫が伺えます。 この楽人は中国風の装束で中国の宮中のようです。笛の先端に龍の飾りが施されていることからも推察されます。日本の雅楽にはこうした飾りの笛はありません。しかし、龍笛の名が残っています。 武豊長尾部上ケ区宮本車の太平楽・楽人(新美常次郎・彫常 大正8年) 宮本車の太平楽・楽人は日本の舞楽、太平楽の演奏の様子です。立川の中国風に対する意識が伺えます。正面に四人の甲冑を着けた舞人が輪になって舞っていることも、立川の車座の楽人に対する意識が伺えます。 左右の火炎太鼓や鳥烏帽子をかぶった楽人など宮内庁、伊勢神宮などで現在でも行われている舞楽の演奏風景そのものです。こうしたことから宮本車の太平楽・楽人は彫常が立川の技法を真似しながらも、対抗し彫常独自に作り上げたことが伺えます。 |
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