[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][司馬温公、瓶割の図]

第100回 彫刻の題材〜司馬温公、瓶割の図

乙川西山「神楽車」蹴込み
武豊長尾部・小迎「鳳凰車」前山蟇股
 「司馬温公の瓶割の図」は乙川西山神楽車の蹴込みや武豊長尾小迎鳳凰車の前山蟇股などに見られる題材です。山車彫刻よりからくり人形の方がなじみ深いかもしれません。
 からくりでは横須賀本町の上山人形が有名です。四日市市にも同様のからくりがあります。司馬温公の瓶割は司馬温公が子供の頃の故事に由来しています。
 司馬温公は敬称で本名は司馬光(1019〜1086)といいます。中国北宗の学者で政治家。字は君実。諡(おくりな)は文正。斉物子と号しました。神宗の時、王安石の新法に反対して引退し、次の哲宗の時、宰相になると、新法を廃し旧法に復し活躍した人物です。
 瓶割の故事は司馬光が七歳の時のお話です。ある時、司馬光は友人と遊んでいましたが、友人が誤って水瓶に落ちてしまいます。このままでは友人が溺れ死んでしまいます。司馬光は機転を利かし、水瓶を割ることによって友人を助けることができました。
横須賀「本町組」からくり人形
 この話が故事として残るのは人名尊重を意味しているところです。古く大きな水瓶は高価なもので、人の生きていくのに欠かせない水を貯蔵することで貴重品でもありました。そうした高価で貴重品である水がめを割って友人を助けることで、たとえ高価で貴重品の水瓶であっても人の命の方が尊いのだ。ということをこの故事は訴えているのです。
 山車彫刻ではちょうど割られた瓶の中から友人が助け出される様子を描いています。からくりは物語の流れの全体を表現しています。やはり瓶から唐子が飛び出すところが見所でしょう。
 もうすぐ横須賀祭です。司馬温公の故事を考えながら瓶割人形を見れば、よりからくり人形を楽しめるでしょう。
 一説には秦始皇帝の子供の頃にも同様の話があるそうです。同様の話でも司馬温公の方が故事として残ったのは、秦始皇帝はやはり悪政をして人民を苦しめたとされるためでしょう。

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