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第48回 御英霊という神様

 8月15日は終戦記念日ですね。全国各地で戦没者追悼式が行われます。戦争で亡くなられた方々の中でも国の為に殉じた方々(軍人、軍属、従軍看護婦、沖縄戦でのひめゆり学徒隊や軍需工場に奉仕した学生、終戦後裁判で戦犯として処刑された方々、抑留中亡くなられた方々などが含まれます。)の霊を英霊(尊称して御英霊といいます。)と呼び、御英霊を祭神としてお祀りした神社が東京九段の靖国神社(全国の御英霊を祀る)や各県の護国神社(その県ゆかりの御英霊を祀る)です。
 また、各市町村各地に存在する忠魂碑といった慰霊碑も御英霊を祀りする施設です。神道では人が亡くなったら神様としてお祀りします。御英霊という神様はつい50年ほど前には私達同様に生きていた神様です。とても身近な神様。神道では八百万の神といって非常に沢山の神様がおられますが、太陽神天照大神といった大自然、太陽を司る神々と同じように神社にお祀りするのはおかしいと感じられますが、太陽は自らのためでなく、他の為に輝くからこそ崇められる。御英霊も自分の為でなく、他(ここでは国、そして日本国民)の人々の為に生きられた。そうした点では同じなわけです。以前書きましたが他の為に生きると神人合一ができる、つまり神様と同じ霊(心)となるのです。
 御英霊となられた方々は様々な遺書を残されています。今から死に行くその時書き残された文には決して悔のない人生であった。幸せであった。と記されています。ああしておけば良かったと後悔が多い現代人とは大きな違いです。若い方々では十代、二十代といった方々も同じような遺書を残されています。神道では「今日の生日の足日」今(今日)という瞬間が全てで、今日という一日は神様から 与えられた大事な一日、生き生きと満ち足りた日である。という思想があります。御英霊という神様は今日という一日、そして人生を精一杯生き、輝かせたんですね。
 戦後、日本は経済的、物質的に豊かになりましたが、精神的に貧しくなったといわれます。物質的に豊かになると人の心は自己中心的になりがちですね。御英霊が生きていた時代、決して経済的、物質的には貧しい時代だったかもしれません。それでも今より幸せな人々が多かったと思います。御英霊という神様を思うとき、一日一日を大切にして悔いの無い人生を送ろうと思います。
 さて、氏神神社の山車祭が多い中、常滑祭は御英霊の祭に由来します。当初は3月10日陸軍記念日に慰霊祭が行われ、山車が曳かれました。日本が敗戦を迎え常滑祭からは御英霊という神様は消されてしまいました。今の日本があるのは御英霊のお陰です。終戦50年も過ぎ、もうそろそろ祭の本義を考えた山車祭にできたらと思っています。昔は常滑高校東側の白山山頂にある忠魂碑(白山招魂社といいます)の前に山車が六輌揃いました。また、いつの日か白山招魂社の前に山車が揃うことを祈ります。

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