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山車の譲渡に際し、壇箱と脇障子の彫刻を残して譲渡される例(上半田南組は譲渡の際、立川彫刻の脇障子と壇箱は残しています。)もあり、その重要性が伺えます。 脇障子は左右対になっており、壇箱とはまた違った彫刻の施され方をします。多くの場合左右同じ題材です。乙川殿海道山の「風神・雷神」や岩滑新田奥組の「高砂爺婆」などは対称に彫られています。成岩北組の「元寇」や岩滑西組の「黄石公と長子房」はちょうど一枚の題材を二つに切ったようで、山車につけられているときよりも外して並べて置いた方が見栄えがしますね。中には亀崎石橋組の「須佐之男命と日本武尊」や下半田南組の「新田義貞と児島高徳」のようにまったく別の場面が彫られた脇障子もあります。こうした彫刻によって脇障子は飾られています。縦長の彫刻は山車彫刻の中でも脇障子だけです。 |
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