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知多型山車の前山四本柱の左右両脇を飾るのが「脇障子(わきしょうじ)」です。脇障子とは家の縁側廊下の突き当たりに立てられた仕切りのようなものです。山車の前壇のくの字に載せられた高欄の突き当たりに付けられています。 この脇障子、元々はありませんでした。前山四本柱の幅が 堂山の幅と同じだったからです。布土の平田の山車のような古式の知多型山車には脇障子はありません。内海の吹越の山車も同様ですが四本柱の内側に中障子が付けられています。白木造りで後から付けられたようです。 さて、この脇障子の発生と経緯ですが四本柱の幅が内側に狭くなるにしたがって付けられたようです。古く脇障子のことを「柱隠し」といったことからも、堂山柱を隠すために付けられたようです。 現在、柱隠しといえば脇障子と堂山柱の間に、ちょうど堂山柱を覆うようにはめられた板をさします。多くの山車では堂山柱は表面上見えませんが、脇障子がない古式の山車は堂山柱が露出しているため、前山と接する堂山柱は塗りを施す、といった装飾がなされているのが特徴です。 脇障子がついた古式の山車に河和中組の山車がありますが板状の柱隠しはなく、脇障子の上の部分は堂山柱が露出しています。当初の脇障子は幅もせまく枠も簡素でした。亀崎中切組の脇障子は内側四本柱に接する部分の枠がありません。 また、大足の山車の古い脇障子には竹の節欄間がありませんでした。「竹の節欄間」とは脇障子の上の部分、二本の筋交いX状につけられた飾りをいいます。(現在の蛇車は新しい脇障子で飾られています。) 太田里組の山車には脇障子がありますが、枠がなく堂山の中に入り込んだように彫刻がつけられています。こうした例は脇障子の発達を考える上で貴重な資料といえるでしょう。こうして現在の脇障子が出来ていきました。
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