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しかし、横須賀大門の山車に付いています。また、半田亀崎東組のものは鬼板自体が獅子口と呼ばれる形式で経の巻とよばれる円筒状の材が載せられいますが、鳥衾のように突き出ていません。これはかなり特殊な例といえるでしょう。 この鳥衾、宝暦の山車である河和中組の山車といった古い形態の山車にも見られ、古くから付けられていたようです。実際の発達経緯はよくわかりません。祭吉、独自の検証として紹介します。その点、ご了解下さい。 この鳥衾、瓦から発生しているものではないかと思います。古い寺院建築の瓦で見られますが古くは丸瓦と平瓦を組み合わせて屋根を葺いていました。(現在は一枚になってますね。)そこで棟の部分には丸瓦(半円形の瓦)を被せたようです。そして両端には屋根の軒先部分に置く軒丸瓦のような瓦をつけたわけです。この瓦が鳥衾の原型になると思うのですが、この瓦が次第に伸びて、更に上に反り返って行ったのではないかと推察するわけです。装飾的な面を考慮しての発達ではないかと思われます。 お城の天守閣など金鯱とか置かれることからもわかりますが、あの部分は屋根の最上部の端で屋根でも目立つ部分だと思います。いわば顔?伸びて行ったこの瓦、ちょうど鳥の止まり木のように見え、実際に鳥が止まったでしょうから、鳥衾の名が付いたのではないかと思います。衾とは寝具、要は布団です。寝る、つまり休むときに使うものですよね。別名、鳥休みともいうようです。
さて、鳥衾の発達経緯と同じようなものがあります。擬宝珠高欄ではなく手高欄、組高欄です。この高欄の端も元々短く、反りかえっていませんでした。鳥衾の発達に似た経緯で発達したと思われます。 さて、知多型にあって名古屋型にないことはよくわかりません。まあ、なくてもいいようなものと思いますが山車の棟には箱棟とよばれる棟があります。それだけでも問題ないのですが、その上に更に装飾的に置かれたのが山車の鳥衾ではないかと思います。 |
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