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第35回 清めの塩

 神道では清浄を非常に大切にします。穢れを祓うため様々な方法が用いられます。一般によく知られているのが塩による清め祓いですね。お葬式の帰りには会葬お礼の品物によく包みに入った塩が付けられていますが穢れを祓うためのものです。神社の祭典では塩湯といって塩を水或いは湯でといたものを蒔いて祓います。
 それでは塩による祓いを考えていきましょう。古くから何かのけじめをつける時には「水に流す」といった表現が使われますがこれはこだわり、執着を水に流す。つまり、こだわらない、執着を引きずらないことです。いろいろなものごとをこだわり、引きずって悩み続けることは大きな穢れ、今で言うストレスがたまる一方です。そうしたこだわりは早くなくした方がいいですね。
 神道の行事で六月と十二月に半年づつの罪穢れを祓う「大祓式」という行事がありますが、そこでは紙で作った人形に罪穢れを移し川などに流します。そうして祓うのですが川は海に通じ神様が穢れを祓ってくれるのです。祝詞にもそうした内容が書かれています。
 こうした海に通じるのが塩です。最終的に祓われる海に通じる塩には祓う力があるわけです。物理的にいっても塩は私達にとって非常に身近な調味料ですし、体にとって必要なものです。古代食には塩のかけらが付けられていましたし、神様のお供えである神饌にも塩は必ず入ります。塩は生物を長持ちさせる力がありますよね。そうした力に生命力を見出したのかもしれません。
 各地の山車祭りにも塩で祓う光景がみられますね。山車を曳きまわす時に山車の前方で塩がまかれます。神聖な山車が通る道を清めるためです。大谷の祭りなどは非常に大量の塩がまかれます。見物してて塩がかかってしまった人もいるのではないでしょうか。
 大量にまかれ空中を舞う塩はとてもきれいですね。これは見た目による祓いに通じるものがあります。山車の上からまかれる紙吹雪はきれいですよね。神道でも切麻といって紙と麻を細かく切ったものをまいて祓いますが、きれいだなと思わせるのが見た目による祓いです。きれいなものを見ていると何か悪いことも忘れてしまいそうです。
 料亭の玄関に塩が盛られていることがあります。清める意味もあると思いますが、元々は客寄せのためだったそうです。古く牛車を使っていた頃、塩分を欲しがった牛が盛り塩をなめるため玄関前に止まってしまう、そうして客が店にはいったとか。そんな説を聴いたことがあります。
 山車祭りでは様々なことで人々の心の穢れが祓われます。塩以外の祓いも別の機会に紹介したいと思っています。

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