[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][下半田祭りの見所]

第32回 下半田祭りの見所

 下半田地区は半田市の中心部、市役所近く業葉神社と山之神社を中心に行われ、四台の山車が曳かれます。下半田地区の祭の歴史は古く、寛政の頃より山車祭りが行われていました。同様に古い亀崎地区は古い伝統を守る格式高い祭りといった感じがしますが、下半田地区は伝統はありつつも、どこか斬新、革新的な感じがします。前回の半田山車祭りには女性の曳き人も見られました。
 それでは、祭吉がお薦めする下半田祭りの見所を紹介していきましょう。
山車
 北組「唐子車」は知多型の古式の形態をの残しており、堂山高欄、上山には塗りがされています。上山四本柱も角柱です。壇箱にも極彩色の絵がされています。
 北、南、東の三組の山車の八枚虹梁部分に木鼻獅子が見られません。金銭的な問題からでしょうか。(この部分には13個の木鼻が付きます。)
からくり人形
 
東組「麾振り」 中組「蘭陵王」
中組「蘭陵王」東組「麾振り」は正面に突き出た機関樋のからくりです。元々、岐阜高山祭りで見られる形式です。中組と同様のものが高山祭の龍神台でも見られます。実はこちらが本家本元。能の竹生島をからくり人形にしたもので少女は老人の世話をしていましたが実はこの老人、龍神であることが分かり、壷に老人を入れ、捨てに行きます。壷を置いて帰ろうとすると、壷が割れて龍神があばれだす。といった趣向です。中組の壷から現れるのは蘭陵王。これは舞楽の舞です。蘭陵王は大変な美形の持ち主でした。そのため兵の指揮があがらず、戦いには怖い面を付けて敵を破った故事に由来します。中組のものは多少物語にむりがありますね。ちなみに中組前壇人太平楽も舞楽です。
 東組の麾振りは以前台座に乗ったものがありましたが伊勢湾台風で行方不明になってしまったようです。現在のものは昭和55年に七代目玉屋庄兵衛によってつくられたものです。通常麾振り人形の操作は糸がつながった梃子を動かしてしますが、東組のものは直接、糸を手に持ってします。これは機関樋のからくりの特徴です。
祭囃子
 なんといっても東組の「軍人さん」これは軍歌を組み合わせた囃子で「勝って来るぞと、勇ましく〜」なんて始まります。この曲は東組の山車が東組町内に入ったときに演奏されます。とても、景気のよい囃子で心も踊ります。大太鼓の人は大変そうですが。
梶さばき
 下半田の梶取り、梶さばきは見事なものです。特に東組のサヤは奥まったところにあり、サヤに至るまでの道はとても細く、おまけに脇には川が流れています。このサヤ入れは一見の価値あり。サヤ入れ時間も遅く、暗いので、お気を付けて。それでは楽しい下半田祭りを。

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