[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][乙川の山車の見所]

第29回 乙川の山車の見所

 
山車に載せられた御幣
日に日に暖かくなってきました。春ですね。もうすぐ知多半島各地で囃子の音が聞こえてきます。そう、山車祭の季節です。三月から五月にかけて各地で繰り広げられる山車祭の中から、いくつかの地区を取り上げて、祭吉がお薦めする山車の見所を紹介していきたいと思います。
 まず、初めは乙川祭です。知多半島の中でも始めに行われる山車祭。糸きり祭ともいわれ、寒さが残る糸きり風が吹く中3月20日前後の土日曜(今年平成11年は3月20日・21日)に行われます。けんか祭ともいわれ若い衆が一番梶を奪い取る様の迫力はすごいです。もっとも勇壮なのは八幡社の坂上げのときです。見られる方は巻き込まれないよう十分気をつけてください。
  さて乙川の山車ですが他地区に比べ一回り大きいのが特徴です。とにかくでかい。提灯 もでかい。あと、追幕、吹流し、大鳥毛がないのも特徴です。変わりに御幣が載せられます。これは神様の降臨する目印だと思います。あと、神輿の行列に榊に人形(「ひとがた」紙でつくった人形)がつけられます。今では祭の後、縁起物として枝を切って配るのですが、これは古い祭の形を残していると思います。本来、人形とはお祓いに使われるもので、穢れを人形に移しこれを榊につけ、住んでいる地域から遠ざけたのです。京都祇園祭に残っています。
 それでは各山車の見所を紹介しましょう。

 先ずは、浅井山「宮本車」です。近年、新調された上山のからくり人形です。乱杭渡りのからくりです。碧南大浜に乱杭渡りがありますが、それを天明8年乙川村の七蔵に習った逸話によるものでしょうか。小唐子の体が割れ文字の額が現れるのも、乙川の古いからくりに似たようなものがありますがそれを参考にしたのではないでしょうか。人形師ではなく地元の人の手作りというのも興味ぶかいです。
 次は殿海道山「源氏車」です。上山の斗組を見てください。間の蛙股の彫刻がないほど斗組で埋まっています。壇箱の猫足です。斗組状の猫足のしたにももう一段猫足があります。これらは他の山車には見られません。前壇の左右端の虹梁は龍が巻いているようになっています。脇障子は「風神、雷神」で立川と彫常のもの二つあり、神社では立川、曳きまわし時は彫常と交換します。
 次は南山「八幡車」です。堂山蛙股の彫刻、上山斗形 など極彩色の塗りです。これは古い形を残しています。
 最後が西山「神楽車」です。脇障子の「神宮皇后と竹内宿禰」です。この題材は多くありますが、神宮皇后が鮎を釣っています。三韓征伐の勝敗を鮎で占った逸話です。(鮎「あゆ」は占いの魚からきています。)多くの彫刻は竹内宿禰が応神天皇を抱いています。つまり、これらは三韓征伐後の話。西山のは三韓征伐前の話です。これも他には見られません。
 まだまだ、いろいろありますが、これらが祭吉お薦めの乙川山車の見所です。
 かなり、マニアックかもしれませんが、見に行かれたら注意して見てみてください。あと、夜提灯を付けますが高欄を取り替えたり、彫刻等外したり、夜には装飾類を多く外します。これも乙川の特徴です。大切にしているんですね。
 あと、彫刻、幕、等山車をゆっくり見たい方は日曜の午前中に行かれたらよいでしょう。神輿の警固の意味から山車は早くから若宮八幡社に置かれています。(亀崎もそうですね。)人もほとんどいません。昔、人が写ってなくて山車が四台並んだ写真を撮ったこともあります。それでは楽しい乙川祭を。
浅井山「宮本車」からくり人形 殿海道山「源氏車」脇障子 南山「八幡車」上山斗形 西山「神楽車」

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