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尾張知多半島の多くの山車にはそれぞれ「〇〇車」と山車名が付けられています。今回は山車名の由来についてお話しましょう。この山車名、山車組によって様々な特徴を持った名前がつけられ、山車組の人々の思いがこもっています。 それでは、特徴ごとに紹介していきたいと思います。 まず始めは、氏神神社の名前に由来するものです。主に神社が鎮座する組、いわゆる神社のおひざもと、宮本といいますが、こうした組の山車には神社名から取った山車名が付けられています。 例えば
「宮本車」…亀崎東組、乙川浅井山、長尾上ゲなどは神社名からではないですが宮本という神社と関わり深いさから付けられています。 「山王車」…下半田東組は業葉神社の祭神の応神天皇、仲衷天皇、神功皇后を中国の故事、三皇にみたて、それが山王になったといわれます。これも、神社名に由来する山車名といえるでしょう。 次に彫刻に由来するものです。山車には様々な彫刻が載せられていますが、中でも壇箱、懸魚といった山車の前面、いわば山車の顔の彫刻の題材に由来しているものが多いようです。 例えば
次に地名、組名に由来するものです。
あと、先に紹介した「唐子車」は組名の北の方位を示す「子」の字にも由来しています。詳しく説明すると、古く方位を12分割して干支をあてました。北は子です。今でも南北を「子午線」太陽が真南にくる時(12時)を「正午」とかいいますね。 少し話がそれましたが、他には天候に由来するものです。岡田の3台の山車には「日車」…里組「雨車」…中組「風車」…奥組と名づけられ、山車が神社に一番乗りをした時に多い天候によってつけられています。他にはからくり人形からでは「紅葉車」…大野橋詰(紅葉の木に唐子が倒立するからくりから)などがあります。 他に変わったものでは歌の題からでは「日之出車」…西成岩彦洲組(現車の建造年である大正4年は御大典(天皇陛下の即位式)の年でその奉祝歌「昇る旭」を山車の完成時に歌ったことに由来しています。)があります。 いろいろな例を紹介してきましたが知多型は様々な由来がありますが、名古屋型は主としてからくり人形に由来する山車名が多いようです。このように山車には様々な由来によって山車名が付けられています。 |
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