[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][続・御札と御守り−御神意]

第23回 新春企画第2弾「続・御札と御守り−御神意」

 日本古来の民族信仰である神道を含め、世界にはさまざまな宗教があります。それらが目指すところは個人の幸せ、そして個人の集まりである社会の幸せであるわけです。宗教ごとに教えは異なっていますが、それは地域環境に応じた表現、言い回しが違うだけで、目指すところは同じなわけです。ここでは神道の思想、考え方を元に御札、御守りの持つ力、その意味についてお話しましょう。

 神道は清浄を非常に大切にし、神社での祭典では先ず始めに修祓といわれる御祓いが行われます。清浄を大切にするのは、病気、怪我、事故、争いなどの災いは心に汚れが積もって起こるとの考え方があるからです。ですからこの穢れを祓うことが幸いにつながるのです。
 古く穢れは悪霊によってももたらされるという考え方がありましたが、穢れが積もらないよう、又、積もった穢れを祓うようにするのが御札であり、御守りであるわけです。一般では「御札さん」「御守りさん」といいますが、伊勢神宮の御札のことを「お祓いさん」と呼ぶことからも、その意味が伺えます。
 それでは、どのようにして穢れから守り、また穢れを祓うのかについてお話しましょう。まず、穢れからの守りですが、神社に鎮まります神様の御霊は清浄な御霊で私たちを日々見守って下さる、言わば善霊です。
 これに対し災いをもたらすのが悪霊です。ちなみに霊というのは心と考えたらわかりやすいですね。私たちには目に見える肉体とみえない心がありますが、心を祀ったのが神社です。御札や御守りは神様の御霊が宿っており、それらがあることで悪霊から守るのです。心でいえば悪い心にならないようにすることですね。
 次に穢れの祓いですが、穢れてしまった状態とは悪霊につかれた、つまり悪い心になった状態から清浄な善い心にすることが祓いですね。神道では心の善悪を直霊「なおひ」(素直な善い心)と枉霊「まがつひ」(曲がった悪い心)といいますが、祝詞でも「神直霊、大直霊に見直し、聞き直し」と文句があるように、自分の素直な心に耳を傾けることが大切であると説かれています。御守りを持つことで悪霊の心から神様と同じ心になれるのです。神人合一といって神様と一体となることで穢れを祓うのです。ちなみに仏教、インド古代哲学ではこれをぼん我一如といいます。

 善悪の心で例を上げますと、相手のことを考える心と自己中心的な心です。一人一人が相手を思いやる心で生きていけば、平和な家庭が築け、平和な社会になっていくのです。今年一年、皆さんにとって良き年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
 

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