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山車彫刻で比較的にお馴染みなのが力神です。木鼻の様にどこの山車にも必ずあるというものではありませが、知多型の山車には、凡そ3台に1台の割合で見られ、どこの地区でも1台は力神が見られます。さて、この力神。読んで字の如く「りきじん」力の神様です。盛り上がった筋肉と睨みを効かせた顔には圧倒されます。
持送りの力神は半田市上半田南組の福神車、半田市下半田南組の護王車、半田市乙川浅井山宮本車などに見られます。こうした力神は名古屋型山車や知多型でも古い形体の塗の山車には見られません。 諏訪の立川和四郎が亀崎の力神車や下半田の護王車(現美浜町布土上村護王車)に力神を彫ったのが始めで、その後半田の彫常によって多くの力神が彫られ、現在の広がりをみせたと思われます。 それでは、構造的な面から力神を見ていきましょう。まずは、壇箱の力神ですが、壇箱の変遷とも少し関係してきます。古い壇箱は単なる箱型でしたが、その後奥行のある壇箱になってきますが、奥まった壇箱の床と天井の板を支える束(つか)の働きをしています。 持送りの力神は持送りの働きをしています。持送りとは山車の堂山から張り出した壇箱を支えるもので三角形の板の形が多いです。力神の持送りは構造面より装飾面を重視したようで、三角板より設置面が少なく構造上無理があるようです。そのためか、力神の持送りの山車は前山が下に下がりぎみなってきている感じがします。 次に装飾面と霊的面を合わせて見ていきましょう。力神は力士の様な太い体をしています。日本的というより中国的に思います。中国の三国志などの戦国物に見られますが、宮廷に使えた力仕事をする人を連想します。日本でいえば大名行列の奴さんといった感じでしょうか。そういえば奴さんも二人対でいますね。 壇箱の力神は左右対称の格好で口を阿うん(開いたのと閉じたもの)にしています 。持送りの力神は左右対称ではないものがほとんどです。(半田市西成岩西組敬神車は対称)一方は手のひらを壇箱に当て持ち上げている格好ですが、一方は肩にかついるだけです。霊的面でいえば守りを意味します。木鼻の項でもお話ししましたが、神社の狛犬獅子の様に睨みを効かせ悪霊から守るのです。 狛犬獅子は動物ですが、力神は人像です。お寺の山門などに見られる仁王像や金剛力士像に通じるものがあると思います。これらは立ち像ですが、力神はしゃがんでいます。これは構造上、上下を支えるためこうした格好になったんだと思います。神社の狛犬獅子はエジプトまでたどることができますが、以前インドネシアで力神を見つけました。いつか番外編として紹介したいと思っています。 |
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