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祭りに曳かれる山車ですが、年間通じて保存収納してあるのが山車蔵です。その形体は山車組によってさまざまです。今回は山車を保存する蔵についてお話しましょう。 その前に、名古屋型と知多型の山車の保存形体についてお話します。名古屋型の山車は祭り以外には幕、を外し上山を降ろし、彫刻等の装飾部分を布でおおい、保存されます。 これに対し知多型の山車は彫刻等の装飾部分は全て外され一つづつ箱にしまわれ保存されます。骨組みも解体され完全にバラバラにされます。知多型の場合、車輪(ゴマ、マ、ワッパとかよばれます。)を水につけて保存します。内輪式の知多型は全て解体しないと車輪が取り外せないからです。 さて、山車蔵ですが山車組によって実に様々です。まず、知多型の山車蔵についてお話します。知多型の山車蔵は大きく分けると二通りにわけられます。一つは山車を年間通じてしまう蔵と祭前後に組み立てた山車をそのまましまうサヤの両方があるもの。もう一つは前者のサヤと蔵を兼ね備えたものです。前者は古い形体で亀崎、上半田、下半田などで見られます。 現在でこそサヤは常設ですが、古くは祭の前後だけ仮に建てられたものでした。木で柱が組まれ、筵(ムシロ…ワラで編んだもの)で覆い、山車を出し入れする正面は幕が掛けられました。雨、夜露をしのぐ程度の簡素なもので、テレビの時代劇に出てくる芝居小屋のようなものでした。現在の常設のサヤも蔵に比べて壁も薄く、簡素な造りです。シャッターが多いですが亀崎の石橋組や田中組のサヤでは祭前後には正面を幕で覆う古い形の名残りが見られます。 サヤに対して蔵は壁も厚く、年間通じて山車を保存するわけですから頑丈な造りです。だいたいサヤの隣に建っています。サヤに比べて半分位の大きさです
もう一つのサヤと蔵を兼ねたものはサヤより一回り大きく、調度サヤの左右後ろ等が出っ張った感じで、そこが彫刻等をしまう所にあてられます。名古屋型の蔵もこうした形です。昔は観音開きの扉でしたが現在ではシャッターが多くなりました。ガーというシャッターよりキーといった音の観音扉の方が情緒があって好感が持てると思うんですが。 |
名古屋型の保管状態 名古屋市中村区・二福神車) |
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常滑市・大野町唐子車 |
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亀崎・田中組 |
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