名古屋市中村区花車神明社祭〜紅葉狩車

  文政年間(1818〜1830)に造られたといわれますが、詳細は不明です.
 戦後しばらく休止していましたが、昭和28年(1953)山車の修理が行われ、それ以後再び祭礼に参加するようになりました.昭和42年(1967)大修理.
  からくり人形は能の紅葉狩りを模したもので,山車全体が紅葉で統一され,随所に紅葉の飾りが見られます.
小柄ながら均整の取れた山車で、二階には紅葉と金幣、高欄下に前述の紅葉の装飾、その下部には山車の周囲を巡る水引幕を金襴で飾るといった、艶やかな山車です.山車の先提灯には許し紋として徳川家の葵紋を付けています.
「鹿幕」と通称される大幕は猩々緋に白地の幕を縫い合わせたもので左右の側面に鹿が描かれています.
この下絵は森高雅によるものと伝えられています.
  
水引幕「金襴」

高欄下や水引幕の留め具など山車全体は紅葉で統一されています.

山車前面にも紅葉狩の彫刻.明治45年、地元の彫刻師酒井蔵元の作

提灯には三つ葉葵の許し紋.
鬼板

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