尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[70]


〜第70回〜

江戸時代、尾張徳川家の江戸下屋敷『戸山荘』に現れた烏の化け物の事件は、化け物が消えた跡 に残つた烏の死骸を徳川光友が烏之御宮の祠の中に葬つて一件落着したものと思はれたのだが・ ・・

「はい、では、申し上げますが、殿様は落語といふものをご存知で?」「落語か? 知つとるも何も、予は昔から講談や落語といつたものが大好きでな、今も週に一度 は大須演芸場※1や栄の中日シネラマ劇場※2に出かけていつて、それを楽しんでをる。と 言つても、先程のやうに蝙蝠に姿を変へて木戸銭を払はずに入つて行くから、少し後ろめたいがな」
「さうでしたか、それは、それは・・・まてよ、今、殿様は、中日シネラマ劇場とかおつしやいましたな。 大須演芸場は判りますが、そのシネラマ劇場は、名前からして、寄席ではなく映画 館ではありませんか?」
「うむ、以前はさうであつた。だが、近くの大須演芸場が連日大入り満員、あまりにも盛況でな 、それを眼にした経営者が、映画より落語や漫才のはうが儲かるでよ、てんで、無節操にも、その映画館をすつかり寄席に変へてしまつたといふわけだわ。だが、落語がどうかしたか?」
「ええ、その、幽霊の殿様にこんな話をするのはなんですが、落語に“へつつい幽霊”といふ演目がありまして・・・」
「知つとるとも。先日、東京から來てゐた志ん朝からそのネタを聞いたばかりぢや。或る左官屋が、博打で大儲けした金の一部を、用心のためにへつついに埋め込んでおいたのはよいが、可哀 想に、フグに当たつて死んでしまつた。そして、当のへつついも道具屋の手に渡つてしまつた。
だが、死んだ左官屋は、自分の隠した金に未練が残り、そのへつついを道具屋から買つた者の前に幽霊となつて出てくる、といふ話であらう」
「ええ、その通りです。つまり、人間は現世に残したものにあまりに執着してゐると成仏できな いといふわけでして。ですから、朝比奈も・・・」
「判つた。生前、鎌倉幕府から逃れる時に、朝比奈はこの戸山の何処かに金銀財宝を隠しておいたのではないか、そして、それが氣がかりで仕方が無いから、この世に舞ひ戻つて來たのではないか、さう言ひたいのだな。つまり、朝比奈はその財宝を誰にも渡したくないといふわけだ。そこで、この辺りに人が立ち入らないやうに、先程の唐子を使ひ、住民を驚かしてゐる、とまあ、そのやうなことであらう?」
「ま、そんなところでして」
「ふうーむ、ありさうな話ではあるな。まてよ、もし、さうだとすると、例の祠や、そこに置いてあつた菩薩の像が・・・」
「財宝の在りかを示す有力な手がかりだつた、といふことも考へられますな」
「なるほど、そこで、朝比奈は例の祠に異常な執着を示したといふわけだな・・・」
と光友の霊は少し得心がいつたやうな表情を顔に浮かべたが、その時であつた、隣に居た煙突童子が突然小僧の横腹を肘でつついた。何事かと小僧は煙突童子の方に頭を向けると、煙突童子の頭は教会の窓の方に向けられてゐたが、その窓の外の闇に鈍い光が動いてゐるのが見えた。すると、小僧の後ろに控へてゐた柳生連也斎が突然口を開いた。
「殿、神楽小僧殿とのお話を邪魔するやうで大変申し訳なく存じますが、何者かがこの教会へ近づいてきてをりますれば、話の続きはまた後日といふことになされて、今はこの場から早々にお引き揚げになるのがよからうと思はれますが・・・」
「おお、さうであつたか。それでは、さうすることにしよう。帰つてから社務所のテレビで渥美清の『男はつらいよ』※3も見たいしな。神楽小僧とその隣の何とかと言ふ・・・」
「こいつは煙突童子と言ひまして」
「おお、さうであつたな。神楽小僧に煙突童子よ、といふわけで予はこの辺でここから姿を消すことにする。だが、朝比奈の怨霊のことも氣がかりであるから、またここに來ることにしよう。
それまで、さらばぢや」

小僧注

※1

1965年開場。日本でいちばん客の少ない演芸場と云はれてゐるが現在も営業 中。

※2 1966年、映画館から寄席に転向した。現在は無い。
※3 この当時はテレビ で放送されてゐた。

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