神楽小僧の横須賀まつり訪問記第71回

神楽小僧と豆腐小僧が大門組の山車に附いて行くと、同盟書林といふ本屋の前で山車は止まつた。

「まて、その話はここでは止めておかう。どんてんが始まりさうだ」
小僧が言つた通り、停止した大門組の山車からは、どんてんが始まる前に必ず奏せられるお囃子が流れて來た。 後に判つたことであるが、これは横笛と小太鼓と小鼓で演奏される曲で『早笛』と呼ばれてゐるとのことであつた。 そして、山車の周りでは、楫取りを務める若者たちがどんてんを行ふ直前の態勢を取つてゐて、何やら緊迫した空氣が漂つてゐた。 前楫に四人、後楫に四人と、二本の梶棒を担当してゐる楫取りは全部で八人であるが、皆が皆、楫棒の上に両手を置いて、眼を閉じながら、 動かずにぢつと立つてゐた。豆絞りをきりりと巻いた頭は少し垂れてゐて、なにやら瞑想に耽つてゐるやうな趣であつたが、それは精神を統一するための行為であつた。 どんてんは楫方を務める者の心が一つになつてゐないとうまくやり遂げることのできない仕事で、それぞれ精神の集中が要求されるのである。

小僧たちが同盟書林の前でぢつとそれを見守つてゐると、まもなくして山車の中のお囃子は止み、そのお囃子の最後に 「ピイー!」といふ甲高くて鋭い笛の音だけが奏せられたかと思ふと、次の瞬間、「ドン!ドン!」と大太鼓の低い大きな二叩きの音が辺りを揺るがした。 すなはち、それは、さあ、これからどんてんを始めるぞ!といふ勇壮な合図であつた。
すると、それまで不動の姿勢を保つてゐた楫取りの若者たちは皆、直ちに「ヤアー!」と叫びながら、両手を挙げてバンザイをする姿勢を取つた。 と思ふと、それは一瞬の出來事で、彼等は直ぐに次の動作に移つた。前楫の四人は腰を低くしてそれぞれの楫棒の下に肩を入れるなり、 一氣にその二本の楫棒を担ぎ上げると、後楫の四人は皆、二本の楫棒にぶら下がり、自分たちの体の重みを利用しながら、その楫棒をぐつと下に押し下げた。 当然ながら、山車の前輪は両方とも地面から浮き、山車全体は後方に傾いた。
しかし、このやうな態勢から山車を回転させるのがどんてんである。山車が傾いたまま静止すると、『しやぎり』と呼ばれる、テンポの速い勇壮な調子のお囃子 が演奏され、山車の前に立つてゐる綱頭と呼ばれる楫方のリーダーが、軍扇を振りかざしながら、楫取りたちに向かつて何か声を放つた。 その綱頭の声は短い怒声のやうなものであつたが、形は整つた、さあ、氣合を入れて山車を回転させろ、といふ合図に違ひなかつた。 直ぐ様、前楫の四人が楫棒を肩に担いだまま、ゆつくり歩きながら、傾いた山車を時計廻りに回転させ始めた。勿論、後楫の四人も前楫を助けるべく、 楫棒を押し下げたまま、これを回転方向に押してゐる。
山車を取り巻く大門組の若衆からは「わつしよい!わつしよい!」といふ掛け声がかかり、熱氣のこもつたお囃子は更に音量を増して、 雰囲氣は徐々に盛り上がり、重い山車はゆつくりゆつくり回転して行く。楫取りの若者たちの顔をよく見ると、誰もが真つ赤な顔を怖いほど歪めてゐる。 いかにも梶棒が重さうである。それも当然であらう、山車は五トン以上もあると言はれてゐて、更にその山車に十数人の人間が乗つてゐるのである
この日は試楽で、見物客も少なく、このどんてんは今一つ盛り上がりに欠けたが、本楽の日には、どんてんの最中に上山から紙吹雪が舞い、クラツカーが鳴つたり 、大勢の見物客から楫取りに向けて「頑張れ!」「もつと廻せ!」といつた熱い声援が飛んだりして、雰囲氣は大いに盛り上がり、やがて尾張横須賀の祭りは 最高潮に達するのである。