尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[69]


〜第69回〜

祭りの試楽の夕方、大門組の山車に附いて行くことにした神楽小僧と豆腐小僧の會話は続く。

「工場とかになつたら、どうなるでやんす?幾つかの大きな企業がこの辺一帯の土地を買ひ占めて、この近くにある製鉄所のやうな大きな工場を建てたりしたら、この横須賀まつりは一体どうなるでやんす?」

豆腐小僧が少し丸く大きくなつた小さい眼を小僧に向けた時、大門組の山車は突然動きを止めた。山車の直ぐ前には四つ角があるのが見えたが、その四つ角の一角には一軒の小さな本屋があつた。それはその日の午前中、山車が動き始めるまで町の中をぶらぶらしてゐた小僧が冷やかしに入つた店であつた。

「山車を曳く場所が無くなるといふことか? 馬鹿な、そんなことにはならんだらう。この辺りは住宅地として指定されてゐるはずだ。それに、仮にさうなつたとしても、まさか、この公道まで無くなるといふことはないだらう。山車を曳く場所が無くなるといふことは無い。だが、周りが工場ばかりになると、ふむ、随分と殺風景になり、祭りの風情は大きく殺がれることになるな」

小僧たちは止まつてゐる山車の横を通り四つ角に出た。そして、小僧が山車の方を振り向くと、角の本屋の二階に、長い間雨風に晒されてペンキの字が殆ど消えてしまつてゐる古い看板が掲げられてゐるのが眼に入つたが、その古い看板の上にはまう一つ小さい看板があり、そこだけは塗り直されたのか、はつきりとした文字で『同盟書林』といふ店の名前が記されてあつた。同盟書林は特にどうといふことはない小さな本屋だが、地元の祭り好きの間ではその名は重要な意味を持つ記号となつてゐる。何故なら、この四つ角が本楽の日の大どんてんの舞台となつてゐるからである。

「でやんすが、法律とか条令なんて人間が自分たちに都合のよいやうに作つたものでやんすからな、それが突然廃止されたり、全く違ふものに変へられたりしても不思議ではないでやんす。事実、一昔前には、このやうに横須賀の海が埋め立てられてしまふとは誰も思はなかつたに違ひないでやんしよ。誰も未來のことは予見できない。近い将來この辺り一帯が巨大コンビナートの一角と化してゐたとしても不思議ではないでやんす。さうなると、この辺りに住む人は居なくなる。横須賀まつりも・・・」
「無くなつてゐるといふわけか?うむ、お前がさう思ふのも無理は無い。人間はしばしば見当がつかないことをしでかすからな。実を言ふと、オイラもそんなことを考へたことがある、今朝町の中を探索してゐて、この町がどのやうな変遷を辿つてきたかといふことがある程度判つた時だつた。横須賀はすつかり変はつてしまつたやうだ、すると、将來、この町はどうなつてゐるんだらう、とな。土地の者でもないのにそんな不安を覚えた。そこで、そんな話を大門組の若衆にぶつけて、可哀想にその若衆を困らせてしまつたのだが、実際のところ、お前が言ふやうなことが絶対起こらないとは言へない。山車蔵は解体されて山車は売り飛ばされる、そんな危機が訪れる可能性だつて否定できないだらう。だが、その時はその時、それでも横須賀まつりを続けたいといふ人が居れば、その人たちが何とか祭りが存続するやうに努力するだらうし、居なければ横須賀まつりは無くなる、ただそれだけのことだ。このやうな傳統のある山車祭りが無くなるのは寂しいことだが、そもそも祭りといふものは、それに対して特別な感情を持つてゐる人間や特別な価値を認めてゐる人間が居なければ始まらないし、そのやうな人間の集團がかなりのエネルギーを持ち続けてゐないと存続させることはできない、さういふものだからな。だが、心配は要らない。将來、横須賀のこの風景が大きく変はつたとしても、お前が言ふやうに巨大コンビナートなどがそこに出來てゐることはないだらう」
「と言ふと?」

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