尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[66]


〜第66回〜

江戸時代は延宝の頃であつた。戸山荘と呼ばれる尾張藩の江戸下屋敷の広大な庭の中に烏之御宮と呼ばれる古い祠があつたのだが、その祠の中からはまるで生きてゐるかのやうな見事な二体の菩薩像が発見された。だが、それらの菩薩像が置かれてゐた随柳亭が火事に見舞はれると、今度はそれらが発見された古い祠の中から烏の化け物が現れて屋敷の中は騒然となつた。徳川光友の霊の話は続く・・・

「予が呆氣にとられてその烏の化け物を眺めてゐると、暫くしてそれは大きな翼をバサバサ揺らして余慶堂の中庭に降りてきた。そして、築山の上に足を下ろすと、そこでクアークアーと身の毛のよだつやうな氣味の悪い大きな声で鳴きはじめたから予は吃驚すると同時にゾツとしてしまつた。まつたく、あの時ほどたまげたことは無い・・・」
「そ、それからどうなりました?」
「うむ、そこで、その時予の側に居た連也が勇敢にも、おのれ、化け物!と叫んでその烏の化け物に斬りかかつて行つた。だが、敵はなにしろ烏の化け物ぢや、連也の剣が身に迫る度にひらりひらりと宙に跳んで身をかはすのでどうしようもなかつた」
「ふうーむ、いくら世に名を知られた剣豪の連也斎殿でも相手が烏ではねえ・・・で、それからどうなりました?」
「うむ、それはそのやうな全く手に負へない化け物であつたが、暫くすると不思議なことが起きた」
「と申しますと?」
「うむ、騒ぎを聞きつけて屋敷奉行の水野武兵衛も余慶堂に駆けつけてきてをつたのだが、その化け物を眼にした武兵衛は何を思つたのか部下たちに命令して大きな鐘を持つてこさせた。それは鐘と云つても少しばかり変はつた形をした中国の鐘でな、尾張の伊勢の海に面した処に予の別荘があつた横須賀といふ町があるが、その横須賀の者たちが予に献上したものであつた。なんでも、その昔横須賀の海で漁師たちの網にかかつたものださうだが、魔除けになるといふ云ひ傳へがあるといふ話であつた。そこで、予は庭の中に建てた寺の中に鐘楼を作り、それをそこに吊り下げておかうと思つて戸山の屋敷に置いておいたといふわけだが、実際のところそれが魔除けになると信じてゐたわけではなかつた。だが、その鐘には本当に魔除けの力があるといふことがその時判つた。いや、魔除けどころではない、それは大変な力を持つてゐたのであつた。武兵衛が庭に出て、部下たちが支へてゐるその鐘を大きい槌でグオ〜ングオ〜ンと鳴らし始めると、その大きな音を耳にして驚いたのか、烏の化け物は突然大きな翼をバサバサ揺らして築山から舞ひ上がり空へ飛び立たうとした。だが、十間ほど高く飛んだその化け物をよく見るとその様子はなんだか変であつた。翼の揺らし方に力が無く体全体がフラフラしてゐる感じであつたからぢや。そして、武兵衛が尚も鐘を打ち鳴らすと、前よりも一層暗くなつた空に突然鋭い閃光が走り、それに続いてドツクア〜ン!ガラガラガラ!と恐ろしいほど大きい雷鳴が轟いたのだが、それと同時に化け物の翼の動きは何故か空中で完全に止まつてしまつた。そして、次の瞬間、その化け物は猟銃で撃たれた鳥のやうに地上にヒユウと落下して來たのであつた・・・」
「そ、それからどうなりました?」
「うむ、そこで、その烏の化け物が落ちて來た処に皆が恐る恐る近寄つて行つたのだが、直ぐに皆驚くことになつた。何故なら、地面に叩きつけられて傷ついた烏の化け物の姿があると思はれた処にそれが無かつたからである」
「無かつた?といふと、一体どういふことで?」
「うむ、不思議なことに、烏の化け物が落ちた辺りにその化け物の姿は無かつた。煙のやうに消えてしまつてゐたのぢや。だが、その代はり、小さい烏の死骸が一つだけそこに転がつてをつた」

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