尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[63]


〜第63回〜

小僧の眼の前から忽然と姿を消した老人。その老人に代はるやうにして現れたのが豆腐小僧だつた。だが、その豆腐小僧の現代風の恰好には小僧も呆れてしまつた。

「ケケ、バレやしたか。実は、ここに初めて來た時に、明治の頃からあるやうな一軒の古い家の前に屋台を出してゐたのでやんすが、その家に高校生の娘さんが居やしてな、名前を新子ちやんと言うのでやんすが、これが少し太めとは言へ、氣立てのよい眼のくりくりつとした可愛い子でやんして、ケケケケ。で、その新子ちやんにその時いろいろと世話になりやして、ゴミは片附けてくれる、豆腐が無くなれば買ひに行つてくれる、といふ氣の使いやうで、おまけに手料理の押し寿司まで御馳走になつたといふ次第でやんした。自分で言ふのもなんでやんすが、この大きな童顔が母性愛といふものをくすぐるのか、アツシは昔から若い女の子には妙にモテやしてな、今度もその新子ちやんに大いに氣に入られたといふ訳でやんす。といふことで、それ以来、どうしてもこちらの方に足が向いてしまふと、そんな訳で」
「ふうーん、さうだつたか。ヘンしい、ヘンしい新子ちやんといふ訳だな」
「なんでやすか、その『ヘンしい新子ちやん』といふのは?アニさんは時々訳の判らないことを言ふから困るでやんす。それはさておき、アニさんのはうは、一体どうしてこの横須賀に?」
「うむ、お前も覚えてゐるだらう、徳川光友公のことを。この横須賀といふ町は光友公抜きには語れない。祭りの起源も光友公とは関係があるといふ。そこでその町と祭りを一度見てみたいと、かうやつてはるばる東京からやつて來たといふ訳だ」
「なるほど、さうでやんしたか。アツシも光友公の話はここへ來た時に知つたでやんす。この横須賀は光友公が別邸を建てた処ださうで。アツシもそれを聞いた時には昔のことを思ひ出したでやんす。あの時の戸山の騒動にはアツシも苦労させられやしたからな。しかし、今思ふとなんだか酷く懐かしい、思ひ出深い出來事でやんしたな、あれは。それはさうと、アニさん、山車は既に動いてゐて、これから全て町内に帰るところでやんすが」
陽も大分西へ傾いて、立つてゐる小僧と豆腐小僧の二人の影が長く伸びた市道元浜線、小僧がその遥か先を見ると、大勢の人々によつて曳かれて行く二輌の山車の小さい影が見えた。それは先程まで公民館前に集結してゐた本町組と北町組の山車で、次はいつ來ることになるか分からない元浜が名残惜しいのか、それぞれの町内に戻る前に、まう一度元浜線をゆつくり散歩してゐるところだつた。
「おつと、さうだつた。老人と話してゐる間に、いつの間にか公民館からは随分と離れた処に來てしまつたやうだ」
小僧はまう一度辺りを見廻したが、老人の姿を見ることはやはり無かつた。
「老人?アニさん、老人とは?」
「いや、なんでもない、へへ。それより、こんな処に居ても仕方が無い。山車の方へ戻ることにしよう」
小僧は暫く振りに再会した豆腐小僧と連れ立つて元浜線を山車の方へと歩き始めた。そして、先程まで老人が語つてゐた話をなんとなく思ひ出してゐると豆腐小僧が言つた。
「さうさう、アニさんによいこと教へてあげましよ。大門組の山車蔵の近くに玉林寺といふ曹洞宗の寺があるのでやんすが、この玉林寺の隣りに愛宕神社の元宮がありやしてな、これから大門組の山車が町内へ帰つてからその元宮に向かふことになつてるでやんす。だが、これがちよつとした見ものでやんして。何故見ものかといふと、それはかういふ訳でやんす。元宮までの山車の通り道、これが極端に狭いと來てゐる。他の組の山車ならまづ通ることは無理でやんすが、そこは他の山車に較べて少し小さい大門組の山車、なんとかぎりぎり通れるといふ訳でやんす。が、少しでも山車の操作を誤ると玉林寺の塀や民家の軒にぶつかつてしまひ、大事な山車を傷附けるといふことで、そこを通る時は、楫方は、そりやまう、大変苦労するといふ訳でやんして」
「なるほど。そこを上手く切り抜けてスムーズに山車を移動させることが出來るかどうか、その辺が見処といふ訳だな。さうか、それは見ものだな。まてよ・・・さうすると・・・」

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