尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[60]


〜第60回〜

『烏之御宮』と呼ばれる古い祠の扉を屋敷奉行の水野武兵衛が開けると、その中には大きな厨子があつた。そして、その厨子の中には・・・。

「うむ、武兵衛がしつこい幕府の役人たちに促されて厨子の扉を開けると、その中には」
「その中には?」
「うむ、菩薩の像が二体あつた」
「菩薩の像!?」
「うむ、一体は白象の上に乗つた普賢菩薩、まう一体は獅子の上に乗つた文殊菩薩であつた。どちらも白檀に彫られた無彩色のもので高さは三尺ほどもあつたらうか、それはまう見事な菩薩の像であつた。いや、見事といふ表現では言ひ足りぬ。その出來栄えたるや恐ろしいほどでな、見る者をぞつとさせないではおかないほどの生々しい仏像であつた。したがつて、予がそれらを初めて眼にした時に受けた衝撃は計り知れないものであつた。予はその二体の菩薩の顔を今でもはつきり覚えてゐる。それはこのやうな顔であつた。
普賢菩薩は、長くて真つ直ぐな鼻筋が印象的な、氣品に満ちた神々しい顔で、何処と無くダ・ヴインチのモナリザに似てゐた。と言つても、それは、愛する夫の浮氣を知つて心の中が怒りに燃えてゐるモナリザといふ風情で、やや切れ長の眼には、貴方の心の中はこの眼で全て見通すことが出來る、どんな狼藉も裏切りも許してはおかない、といつた凄みがあり、怒りの言葉を夫にぶちまけるのをぐつと堪へてゐるやうな口元には悪魔もたじろがせるやうな強い意志が感じられた。
そしてまう一方の菩薩は、右手に剣、左手に経巻を持つてゐたから文殊に違ひなかつたが、その顔は、最も優れた智慧を持つといふその名に相応しくなく、智よりも力を尊ぶ武骨な坂東武者と言へばよいか、四天王の像に見られるやうな大きく眼を見開いた威圧的な顔で正面を見据ゑてゐた。だが、その表情には、自分を裏切つて今は敵となつた友人と対峙してゐる武将のやうに、怒りと悲しみと自嘲が微妙に入り混じつてゐるやうに思はれたのであつた。
そして、その二体の菩薩はどちらもまるで生きてゐるかのやうに予をじつと凝視してゐてな、その眼に籠つた妖しい力に暫くの間射すくめられてゐると、突然普賢菩薩がニヤツと笑ふではないか、予は戦慄を覚えて、思はず後ろに飛び退いてしまつたのであつた。
菩薩だけではない。左甚五郎の猫の話ではないが、白象も獅子も今にも動き出すのではないかと思はれた、といふより、今まで動いてゐたものが無理矢理その動きを止めてゐるかのやうに思はれた。狂言を演ずる者が一連の動作の途中にその五体の動きをぴたりと止め、まなこ一つ動かさないでそのままのポーズで暫く静止してゐることがあるが、それと同じやうなことをそれらがやつてのけてゐるのではないかと思はれるほどであつた。いづれにしても、あれほど迫力のある仏像、不思議な力を持つた彫刻に、予はそれ以前も以後もお目に掛かつたことが無い」
「すると、朝比奈がその祠に施錠したのは、神烏の祟りがどうのかうのといふことではなく、その立派な菩薩の像を人目に触れさせないためだつたといふことが考へられるのでは?」
「うむ、お前の言ふ通り、それが朝比奈の目的であつたのかもしれない。朝比奈にとつてそれらの仏像はとても大事なものであつた。だが、それを持つて逃げる訳には行かぬ。そこで、それを祠の中に隠しておくことになつたが、誰かがそれを盗まぬとも限らぬ。それで神烏の祟りを口実にその祠に施錠したといふことかもしれぬ」
「しかし、殿様の話では、その祠を修復することによつて夥しい数の烏が戸山から消えて居なくなつたといふことだつたが。すると、神烏の怒りは本当だつたといふことになるのでは?」
「うむ、確かに、旅の僧が道灌に語つたこと、『神烏の祠を修復すれば、烏の大群は戸山から消えて居なくなる』といふことは本当であつた。しかし、それが神烏の怒りが鎮まつた所為なのかといふと、それは本当かどうか分からん。なんだか怪しい話だとは言へないか。その旅の僧が拵へた嘘であつたといふことも考へられる。例へばの話だが、その僧は妖術を使ふことが出來るとしたら、どうぢや。澤山の烏を意のままに操ることが出來るとすれば、それを一箇所に寄せ集めることも可能であらう。どういふ訳があつたのか知らぬが、誰かが酷く破損した神烏の祠を修復したかつた。それはその僧自身であつたのかもしれん。だが、一人でその祠を修復するのは大変なこと。大きな公孫樹の木を取り除くことなど出來ないであらう。そこで、烏を次から次へと戸山に呼び、神烏の祟りと言つてその祠を修復させ、それが終はると直ぐに烏を退散させた、さういふことが考へられる。あるいは、かういふことも考へられるのではないか。戸山を襲つた烏の大群だが、それは農民たちの幻想であつたといふことも。つまり、最初からそこに烏などは居なかつた。農民たちや道灌は皆妖術を懸けられてゐて、幻を見るやうに仕向けられてゐた。烏がどんどんと増えて行つたのは彼等がさう思つただけのことで、実際には何も起こらなかつた。さういふこともあり得るのではないか」

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