尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[59]


〜第59回〜

小僧が市道元浜線で出逢つた怪しい老人の語る話がこんなに長くなるとは書いてゐる本人も予測出來なかつた。

「あん?また何か考へ込んでおるやうだの、お前さんは?
なに?戸山荘の庭園か横須賀御殿のどちらか一つでも残つてゐたらよかつたのに、いづれもこの眼で見ることが出來ないのは実に残念だ、と言はつしやるか?
うむ、ワシも同じ思ひだわ。そのどちらかでも、完全にとまでは言はぬ、ギリシヤのパルテノン神殿のやうに幾らか吹き飛んでおつても、顔の輪郭が見えるくらゐにその姿を今も残しておればの、それを築いた光友の名も日本史の教科書に出るくらゐにはなつておつたであらう。
それがなんといふことか、学校の教科書や参考書に光友の名が無いのはよいとしても、何冊もの本から成るあの吉川弘文館の『国史大辞典』にもその見出しが無い有様ではないか。これは間違つとる。大いに間違つとる!責任者よ出て來い!
なに?ワシがそんなに怒ることはない?こりや失礼。少々熱くなつてしまうて、なんだか昔人氣があつた関西の漫才師のやうな口調になつてしまつた。許して下され。

左に見えるコンクリート塀が昔の堤防跡だ.(市道元浜線)
しかし、もし、御殿がそのまま残つておつたら、この横須賀もどうなつておつたかの?犬山城のある犬山が、その国宝の城をシムボルとして持つておるが故に、観光の町としてその古い町並みを残さうと努力しておるやうに、横須賀もおそらく同じ道を辿つておつて、これほど様変はりすることはなかつたであらう。漁で食へなくとも観光で食へておれば、海を埋め立てて製鉄所を誘致することもなかつたであらうに、なう、お前さん?
なに?死んだ子の歳を数へても仕方が無い?うむ、ではあるが、どんどん変はつて行くこの辺りの風景を見ると、つひそのやうに思つてしまふのだわ。ワシは横須賀まつりを見物しに來る度に、この辺りから眺める海の景色を楽しみにしておつたのだが、その海もいつの間にか無くなつてしまつた。ワシは先程お前さんに、汚れた海が見渡せても仕方が無い、意味が無いと言つたが、大昔の海と余り変はらない美しい伊勢湾の海がそこにあつた頃、この辺りから眺めたその景色は、ふむ、このワシにもやはり懐かしく思ひ出される。
なに?それは明治、大正の頃かとお訊きか?いやいや、そんなに遡ることはない。大東亜戦争が・・・おつと、失礼、古臭い言ひ方をしてしまつたやうだの。太平洋戦争であつたな。その太平洋戦争が終はつてからも暫くの間は、そのやうな海の景色がこの横須賀の浜からは見られたものだわ。
ワシは戦争が終はつたその直後、戦争中の空襲で名古屋城も澤山あつた名古屋の山車もその殆どが焼かれてしまつてな、酷く落ち込んだ氣持ちでこの横須賀に來たことがあつたが、何事も無かつたかのやうに元氣に曳かれて行く山車の姿と、以前と変はらぬ清々しい青さを湛えた精悍な表情の海を見た時には、うむ、なんだか妙に勇氣附けられたやうな氣持ちになつたものだわ。そのことからも判るやうに、当時は海と言へるやうな海がまだそこにあつたと、さう言つてもよいであらう。
ワシはその時、この辺りにあつた干潟から幾分感傷的な氣分で海を眺めておつたのだが、頬に当たる潮風が、小さい頃母親に抱かれた時に頬に受けたあの温かい吐息のやうに感じられてな、なんだかそれに優しく慰められておるやうで、このワシも思はず涙といふものを溢してしまつたのだわ。
なに?重油や廃水の匂ひで鼻がやられて涙が出たのだらう、とな?
うむ、今だつたらさうかもしれんが、当時はそのやうな嫌な匂ひは混ざつておらんかつた。干した藻草や魚の匂ひが時折混ざつておつたが、そこにはまさしく海の薫り、光友の時代、いや、それ以前から続く海の薫りといふものがあつた、さう言つても過言ではないであらう。
さうさう、その時は何故だか時間が経つのも忘れて海をぼんやりと眺めておつてな、氣が附いたらいつの間にか夕凪で、海の上に澄んだ月が出ておつた。そして、千鳥の鳴き声、今はまうこの横須賀で聞くこともない千鳥の鳴き声が何処からともなく聞こえて來たのだつた。ワシの耳には今でもそれが残つておる。なんとなくうら寂しいその鳴き声がな。昔恋しや〜、恋しや恋しやと〜、慕へども歎けども〜、かひもなぎさの浦千鳥〜、音をのみ鳴くばかりなり〜、音をのみ鳴くばかりなり〜」
老人は突然、能楽の謡(うたひ)のやうなものを唸り出した。小僧がそれに耳を傾けてゐると、以前耳にしたことがあるやうなやや甲高い声が小僧の背中に突如として響いた。

nova注
こんな写真が出て来た.昭和30年代だろうか、現在の元浜球場のあたりだと思われる.
この写真にも僅かに写っているが、別のカットには砂浜が拡がっている景色もあった.
既に海は汚れ泳ぐことは出来なかったが、まだ古見、長浦あたりが海水浴場だった頃だ.

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