尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[56]


〜第56回〜

朝比奈義秀の建てた神烏の祠はその後土地の者から忘れ去られてしまつてゐた。太田道灌は村の長老が思ひ出した、それらしき祠のある処に足を運ぶと・・・
「講釈師見て來たやうな嘘をつき、といふ訳だな、フオツフオツフオツフオツ。よい、よい、弁解しなくともよい。
とにかく、さういふ訳で、農民たちの話を聞いてゐても埒が開かないと、道灌は長老の言ふ祠のある処に取り敢へず足を運んださうだ。すると、かつては朝比奈が隠れてゐた寺やその境内があつた辺りも随分と様変はりしてゐてな、その時は高木がそそり立つ鬱蒼とした林がそこに広がつてゐるだけであつたが、その外れに幾つかの古い墓が集まつてゐる処があり、その奥に例の祠があつた。しかし、道灌はそれを眼にするや否や驚いた。その大きな祠は長い歳月の間に何度も風雨に晒されたせいか酷く傷んでゐた。太くて頑丈に見えた柱にはひびが入つてゐて、壁は所々が剥がれ落ち、板葺きの屋根は一部が飛ばされて無くなつてゐた。だが、道灌が驚いたのはそのやうなことではなかつた。その古い祠はもつと大きな痛手を蒙つてゐた。祠の前には朽ちた大きな公孫樹(いちよう)の木が立つてゐたのだが、それが台風にやられたのか、根元を少し残してその殆んどが地上にどつと倒れてゐてな、無惨にもその先端が祠の正面を直撃してゐた。それは正面に突き出た屋根を二つに割り、祠の扉の真中にめり込んでゐた。そして、その時の衝撃によつて壊れたのか、錆び附いた錠が祠の前に設けてある石段の上に落ちてゐた。
『なるほど、祠がこのやうな打撃を受けてをれば、祀られてゐる神烏が怒るのも無理は無い。うむ、これこそ旅の僧の言つた神烏の祠に違ひない』
と道灌は早速村の者に命じて、その公孫樹の木を取り除き、その祠を丹念に修復させたといふ」
「待つて下され、光友公。すると、その祠を修復した者の中にはその中に入つた者も居たといふことで?」
「うむ、神烏の祟りがあるとは言へ、中に入らずに祠の修復は出來ない。道灌自身も中に入つてみたさうだ」
「道灌がその祠の中に?では、その中には一体何があつたといふので?」
「うむ、中には大きな厨子が一つ置いてあつた」
「大きな厨子?」
「うむ、檜で作られたと思はれる、装飾も何も無い白木造りのとても大きな厨子であつた。祠の中にはそれだけが置いてあつた。祠の扉は公孫樹の木によつて台無しにされたが、その厨子は無傷であつた。だが、それも扉で閉め切つてあつて、その中にどのやうな神物が置かれてゐるのか判らなかつたといふ」
「では、その扉にも施錠してあつたといふことで?」
「いや、その扉には錠が懸けてなかつた。そこで、道灌もそれを開けて中を覗きたいと思つたのだが、例の旅の僧の『中の物には手を附けぬやうに』といふ言葉を思ひ出して、それを思ひ止まつたさうだ。とにかく、道灌は旅の僧の言葉を信じるより他に手立てが無かつた。その祠を十二分に修復させると、旅の僧の『厳重に』といふ言葉に従つて大きな錠を扉に懸けたといふ。するとその夜、その旅の僧が道灌の屋敷に又しても現れてな、道灌の顔を見るなり、
『道灌殿には全くもつて御苦労なことであつた。あのやうな修復の為され方見事の一言に尽きる。神烏もさぞや満足してゐるに違ひない。よつて、農民たちを困らせてゐる烏たちは明日にでもこの村から飛び去つて居なくなるであらう。だが、氣がかりなことが一つ。それは祠に懸けた錠の鍵でござる。その鍵があれば、あの祠の中を覗かうといふ氣を起こす者がいつ出て來るやもしれぬ。さすれば再び神烏を怒らせて、今度のやうな大きな災ひを又もや引き起こすことにならう。だが、神烏の怒りも二度目となると簡単に鎮める訳には行かぬ。取り返しの附かぬことになるであらう。したがつて、その鍵は早々に始末されたはうがよからう。拙僧はこれから安房の国に赴くところであるが、その鍵は祈祷師にお祓いを頼んだ後、拙僧が安房の海に沈め申さう。故にその鍵は拙僧にお渡し下され』
と言つてな、訝しげな顔でその鍵を差し出した道灌からそれをもぎ取るやうに受け取ると、その道灌に名前を訊ねる暇も与へず、風のやうにそこから走り去つたといふ」

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