徳川園 |
時は室町末期、太田道灌が住んでゐた戸山に烏が大量に発生して、それが田畑を悉く喰ひ尽くしてしまふ事態になつた。農民たちが悲嘆に暮れてゐると、怪しい旅の僧が道灌の屋敷に現れた。
「困り果てた農民たちは太田道灌にその窮状を訴へたのだが、幾多の難敵を撃ち破つて來た道灌も烏が相手では策の施し様が無かつた。ところが、農民たちがそのやうな悲惨な目に遭つてゐた或る日、一人の編み笠を目深に被つた旅の僧が道灌の屋敷に現れてな、道灌にかう告げたさうだ。
『烏たちが農民を困らせてゐるのは、神烏の怒りによるものである。農民たちは神烏に供物を捧げることもしない、破損した祠を直さうともしない、それで神烏が怒つてゐるのである。その怒りを鎮めるには、この戸山にある神烏の祠を修復されるのがよからう。ただし、その時祠の中に入つたとしても中の物には手を附けぬやうに、修復が終はつた時には誰も中に入れぬやうその扉に厳重に錠を懸けることをお忘れにならないやうに。よいか、くれぐれもそれをお忘れにならないやうに』
とな。それだけ言ふと、その僧は名前も告げず、直ぐにそこを立ち去つたといふ。
旅の僧が立ち去ると、道灌は、(うーむ、顔を見せようともしない怪しい僧ではある。神烏の祠?修復が終はつたら厳重に錠?一体どういふことだ?)と不審に思つたが、事態が切迫してゐることもあつて、早速農民たちを呼び出してその祠のことを問ひ質した。だが、農民たちは皆口を揃へて、そのやうな神烏の祠など、見たことも聞いたことも無い、と言つてゐたさうだ。無理も無い、朝比奈が戸山を去つてから随分と長い歳月が経つてゐたからな。
だが、道灌が、(どうやら旅の僧に一杯喰はされたやうだな)と農民たちを退散させようとすると、一人の長老が
『それは茂助の家の裏の雑木林の奥にある、錠が懸けられたままになつてゐる古い祠ではないか。ワシは子供の時に、あれは朝比奈が自分を助けた烏を祀つた祠だと、そんなことを聞いた覚へがある』
と言ひ出した。すると、
『うんうん。さう言へば、オラもそんな話を死んだじい様から聞いたことがある』
『違ふだろ、オラも朝比奈の話は聞いたことがあるが、あれは烏を祀つた祠なんかではなく、御先祖様たちが朝比奈を祀つたもので、中には朝比奈の遺骨があるといふ話だ』
『馬鹿こくでねえ。あれは只の稲荷の祠だて。昔間引きした赤子をあそこに捨てる者が多かつたから、あのやうに錠を懸けたといふ話だ』
『んだが、あの錠は簡単に外すことが出來るといふ話ではないか。この間与作のせがれとおめえの娘が、こんな大変な時にも拘はらず、あの祠の中に隠れて乳繰り合つてゐたさうではないかい』
『なにい!そりや本当か!?与作のせがれといふと与之助だな。くそお、あの女たらしのひよつとこめ!オラの可愛い娘に手を附けやがつて、殺してやる!』
『まてまて!それは只の噂だろ。あの錠は錆び附いてゐるがちつとやそつとでは外すことなんか出來ん。この間オラも中はどうなつてゐるか興味があつたから錠を外さうとあれこれやつてみたのだが、へへ、てんで駄目だつた』
『さてはおめえ、あの中に金目の物があると思つて、それでそれを盗らうとしたな!』
『何こく!おめえもあの錠を外さうとしたことがあるくせに!』
『なにお!この野郎!』
などと、それぞれが勝手なことを言ひ出し、喧嘩まで始まる始末、それを聞いてゐた道灌も頭を抱へてしまつた」
「ちよ、ちよつと待つて下され、光友公。お話の途中ではあるが、その、なんでして、殿様はまるでその農民たちの側にをられたかのやうに農民たちの会話を詳しくお知りのやうですが?」
「フオツフオツフオツフオツ!さうか、バレたか。許せ。うむ、お前が察した通り、予の想像が少しばかり加へてある。話に少し色を附けたはうが面白いと思つてな、フオツフオツフオツフオツ!」
「うーむ、見かけによらず剽軽なところのある殿様だな、光友公は」
「何か申したか?」
「いえいえ、なんでもありませんので、ヘツヘツヘツヘツ。その、殿様はお話が上手い、殿様には講釈師の素質がおありのやうだと、さう申したので、ヘツヘツヘツヘツ、どうぞ話の続きを」 |
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