戸山荘の庭園に残されてゐた『烏之御宮』の謂はれとはどのやうなものか。光友公の話は続く。
「それが先程話した戸山荘にあつた祠だが、朝比奈はそれを造り終へると土地の者たちに、
『北条方がそのうち攻めて來やうから、これからオレは旅に出る。そこで、神烏の祠の扉には錠を懸けておいた。扉を開けて中に入ると神烏の怒りに触れ、必ず大きな災ひが起きるから決して錠を外すな』
と告げたさうだ。するとその夜、土地の者たちは朝比奈が身を寄せてゐる寺から大きな炎が上がるのを見たといふ。
なんでも、野武士の残党が放つた火が元でとか、住職の裏切りを知つた朝比奈が怒つて火を附けたとか、いろいろと言はれてゐるのだが、とにかく、寺はその時その墓や神烏の祠を残してその殆んどが焼け落ちてしまつたさうで、、その後朝比奈の姿を見た者は一人として居なかつたといふ。北条方もその後必死になつて朝比奈を探したが、その行方は杳として判らなかつたさうだ」
「なるほど、朝比奈がその祠に烏を祀つたのはさういふ訳でしたか。しかし、光友公、殿様のその話にケチを附けるわけではないが、オイラにはどうも解せぬところがある。どういふわけで朝比奈はその祠に錠など懸けたのだらう?神烏の祟りがあるとは言へ、そこまでする必要が果たしてあつたのだらうか?それに、先程殿様は、戸山荘にあつた祠の錠は朝比奈ではなくて、太田道灌が懸けたものと言はれたやうだが?」
「うむ、確かに、その錠は道灌が懸けたものといふ話であつた。だが、最初に施錠したのは朝比奈でな、その後随分経つてから道灌が厳重に大きな錠で懸け直したといふ」
「懸け直した?それは、又どういふ訳で?」
「うむ、それには又不思議な言ひ傳へがあるのだが、ここまで話したからにはそれを話さないわけには行くまい。少々長くなるが、それをこれから話すことにしよう。」
「予がこの戸山に庭を築いた頃、その庭の中にはちよつとした丘陵の上に、その昔太田道灌が植ゑたと傳へられる見事な松の木があつたのだが、それは土地の者から『道灌物見之松(どうかんものみのまつ)』と呼ばれてゐて、江戸中から見えたほどの大きな松であつた。そして、その松の立つてゐる辺りから眺める庭の景色、これはまう、絶景と言つてもよいほどの素晴らしいものでな、今でもそれは予の眼に焼き附いてゐる。それがまう見られないのは実に残念なことではあるが、その道灌物見之松があつた辺りにその昔道灌の屋敷があつたといふことで、これも名主の話だが、そこに道灌が住んでゐた頃、この戸山に大きな異変が起きたといふ。
それはどのやうな異変かといふと、烏だわ、烏が大量に発生してな、それが、例年よりは豊作で喜んでゐた農民たちの田畑を悉く喰ひ尽くしてしまふといふ、農民たちにとつては、突然天国から地獄に突き落とされるやうな、そんな事態になつたといふ。そのあらましは名主の話に因ると凡そこのやうなものであつた。
戸山の秋も深まつて、田んぼの畦に彼岸花がその鮮紅色の花を咲かせようとしてゐた或る日、一人の農民がそろそろ米の収穫に取り掛からうかと思ひながら田んぼに出てみると、いつもより烏の数が多い。農民は竹竿でそれを追ひ払はうとしたのだが、烏たちはそれを屁とも思はない。その農民を嘲笑ふかのやうにクアークアー鳴いて一旦は空へ逃げるが、すぐに何喰はぬ顔で田んぼに戻つて來る。追ひ払へば戻り、追ひ払へば戻りと、その繰り返しで農民はへとへとになつてしまひ、結局は田んぼの真ん中に座り込んで、豊かに実つた稲穂をガツガツと啄む烏たちの様子をぼんやりと眺めるほかはなかつたといふ。
そしてその烏たち、どういふ訳か、日毎にその数を増して行つたさうだ。困つたのは農民たちだわ。これはいかん、このままでは自分たちが丹精込めて育てた穀物や野菜が烏たちに好き放題に喰はれてしまふ、なんとかせねば、と思つたが、殖え続ける澤山の烏を追ひ払ふ有効な方法は無かつた。おろおろしてゐる間に烏はどんどんと殖えて行き、田んぼや畑はどんどんと喰はれて行つた。そこで、収穫出來る作物は出來るだけ早く確保しようと、農民たちは挙つて野に出たのだが、ヒツチコツクの映画の『鳥』さながら、数を得て凶暴になつた烏たちにどつと群がれ、その鋭い嘴で散々つつかれてはどうすることも出來なかつたさうだ」 |
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