小僧と煙突童子の前に現れた光友公の霊は朝比奈義秀の怨霊が大きな烏に化けたといふことを聞くと何かを思ひ出した様子。
「大きな烏?さうか!うむ、思ひ出したぞよ!」
「な、何を思ひ出されたので?」
「うむ、烏のことだわ。大きな烏をな、予も生きてゐた頃にこの戸山で見たことがある。さうか、するとあれは・・・」
「では、光友公もあの朝比奈の化けた大烏を御覧になつたことがあると、さういふことで?」
「うむ、予が見たのも烏の化け物であつた。翼を広げるとその幅は二丈※1ほどもあつたらうか、それはまう、想像を絶するほどの大きな烏であつた。
今考へると、あれは朝比奈の化身であつたのかもしれぬ。
いや、多分さうであらう。さう考へると合点が行く。
あれは確か、延宝の頃であつた。ここ戸山の庭が殆ど出來上がつた頃でな、将軍の御成り、つまり、将軍家綱が戸山に來られるといふことでその準備に忙しい時であつた。奥向き※2より御成りの前に屋敷の見分をしたいといふ申し出があつてな、屋敷奉行の水野武兵衛が幕府方の役人たちを連れて庭を案内してゐた時のことであつたわ。
庭の中には鬱蒼とした老木の林があつたのだが、その奥に一間※3四方、高さ一間半ほどはある大きな祠が一つあつてな、それはその昔朝比奈義秀が烏を祀つて建てたといふ謂はれのある古い祠で、土地の者から、確か、さう、『烏之御宮』と呼ばれてゐたのだが、その正面は扉で閉め切つてあつて、その扉には予も見たことのないやうな大きな錠が懸けてあつた。
戸山の庭は幕府から排領した土地に造つたもので、そこに元々あつた田畑をなるべく残し、農民たちにそのまま耕作させてゐた関係で、当時戸山の名主が屋敷に出入りしてゐたが、その名主の話に因ると、その錠を懸けたのは、なんでも、この戸山に一時住んでゐた太田道灌※4といふことで、扉を開けて中を覗くと必ず大きな災ひが起きるから、それを防ぐために厳重に施錠したといふ言ひ傳へがあるといふ。
名主もその祠を畏れてゐて、その錠を決して外さないでくれと言ふので、予もそのままにしておいたのだが、役人たちは中を改めたいと言ふ。武兵衛は錠の鍵も無いし言ひ傳へもあるのでと断つたのだが、役人たちは『不審なものをそのままにしておく訳には参らぬ。上様御成りの時に何かあつたらお咎めを受けるのは我等ゆへ是非とも中を一覧致したし』
と言ひ張つて聞かない。仕方が無いから武兵衛は鍛冶屋を呼んで無理矢理その錠を壊し扉を開けてしまつた」
「す、すると、その祠の中から出て來たといふわけで!?その烏の化け物は?」
「まあ、待て。神楽小僧とやら、そんなに急(せ)くでない。それより先に、朝比奈が何故そこに烏を祀つた祠を建てたか、その訳を話しておいたはうがよいであらう。どうぢや、お前たち、その話に興味はないかの?」
「なるほど。おつしやる通り、話の順番としてはそれが最初のやうで。
しかし、朝比奈は一体どういふ訳で烏なんかをそこに祀つたのだらう、光友公はそれを御存知で?」
「うむ、その謂はれも名主が話してくれたのだが、それはこのやうな話であつた。
その昔、この戸山には朝比奈の父和田義盛が創建したといふ天台宗の寺があつたのだが、義盛が北条義時に討たれた後、朝比奈はそこに一人で隠れてゐたさうだ。
すると、敵の一群、と言つても、それはこの辺りに住んでゐた性質(たち)の悪い野武士たちであつたが、それが功を立て鎌倉の恩賞に与からうと、夜が明けきつたばかりの朝、そのぐつすり寝てゐるところを計つて襲つたといふ。
それには寺の住職の裏切りが絡んでゐて、朝比奈はその前夜酒を酔ひつぶれるまで飲まされてゐてな、その時は死んだやうに寝てゐたさうだ。
ところが、その野武士たちが寺に殺到しようとする直前、一羽の烏が朝比奈の寝てゐる庫裏までやつて來て、その危急を知らせようといふのか、クオークオー、クオークオーと大きな鳴き声で騒いでな、かつと眼を覚ました朝比奈は野武士たちを悉くその剛力でやつつけてしまつたといふ。
といふ訳で、それ以來、朝比奈は自分を助けてくれたその烏を神烏(こうがらす)と崇めて大事にしてゐたのだが、土地の農民が誤つてそれを殺してしまつたさうだ。
そこで朝比奈は、寺の境内の外れにその烏の遺骸を埋め、その上にその烏のための祠を建てた。だが、それは烏を祀つたものにしては豪勢かつ大きなもので、土地の者たちはそれを見て皆眼を見張つたといふ」 |
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