陽のすつかり落ちた戸山ケ原。廃墟となつた教会に何氣無く踏み込んだ小僧と煙突童子を待ち構へてゐたのは次から次へと二人を襲ふ不思議な出來事だつた。そして今、眼の前には徳川光友の霊が・・・。
「予がこのやうな処に現はれたのが不審のやうだの。ここはその昔予が江戸滞在の折住んでゐた下屋敷があつた処でな・・・なに、知つてゐると申すか?さうか。それなら話が早い。
予がここに参つたのは久し振りのことでな、生前名古屋に帰り大曽根の屋敷に移つてからといふもの、ここに足を運んだことが無かつたから・・・えーと、今は何年ぢや?西暦一九六八年?すると、二百七十年程経つてゐるといふことか!ふうーむ、光陰矢の如く月日に関守無しとは言ふが、さうか、そんなに経つてゐたか。
いづれにしても、予がここに築いた広大な庭は、今や大都会の喧噪に飲み込まれて跡形も無く消え去つてゐるであらう、さぞや澤山の高層ビルに占領されてゐるに違ひない、でなければ近代的な大きな公園に生まれ変はつてゐるのであらう、などと思つてゐたが、このやうな団地や学校もあれば荒れ果てた処も澤山あるといふ中途半端な状態になつてゐたとはなう。
おつと、そんなことはどうでもよいことであつた。聞くところによると、最近この辺りに奇妙な幽霊が頻繁に出没するといふ話ではないか。うむ、予の墓がある建中寺の社務所でテレビを見てゐたらニユースでそんなことを言つてゐた。
それを聞いたら予も無関心では居られんでな、屋敷跡がどのやうになつてゐるか一度見てみたいといふ氣もあつたから、それで、蝙蝠になつて建中寺からここに飛んで來たといふ訳だわ」
名古屋市東区徳川園 |
「すると、先程オイラたちを助けてくれた大きな蝙蝠の群れは・・・」
「うむ、予とそこに居る家來たちが化けたものだわ。ちようどよいところに來たやうだの。いや、礼を言ふには及ばぬぞよ。その代はりお前たちにちと訊ねたいことがあるのだが。
うん?なんだかお前たち、落ち着かぬやうだの。一体どうした?」
「へへ、光友公の御家來衆とは言へ、こんなに澤山の怖い顔に近くで睨まれてゐるとオイラたちも、へへ、なんだか尻の辺りがムズムズするやうで」
「フオツフオツフオツフオツ、さうであつたか。これ、皆の者!二人からまう少し離れるのだ。そして、各々二人に名前を披露せよ!」
と光友公の霊が言ふな否や、それまで小僧たち二人を取り囲んでゐた武士たちは一斉に小僧たちから二、三歩程後ろに退いた。そして、それぞれが自分の名を名乗り始めた。
「ははあ!これは、これは、お二人には失礼つかまつつた。それがし、尾州家兵法指南役を勤めました柳生連也斎厳包でござる。以後お見知りおき下され」
「拙者はこの連也の兄柳生茂左衛門利方でござる」
「それがし、京都三十三間堂の通し矢※1で一昼夜に八千本を射通し新記録を打ち立てた星野勘左衛門茂則でござる」
「それがしは行覚流槍術を得意と致します田辺八左衛門長常でござる」
「拙者は高田三之丞・・・佐野九郎兵衛・・・林十兵衛・・・三井久右衛門・・・」
と家來たちの自己紹介が一通り終ると光友公の霊は満足さうに口を開いた。
「次はお前たち二人の番ぢや。お前たちの名はなんと申す?なに?妖怪の神楽小僧に煙突童子とな?さうか。人間のやうに見えるが妖怪か。妖怪のお前たちが何故こんな処で唐子の集団に襲はれる羽目になつたのかの?差し支へ無ければ訳を申してみよ」
といふ訳で、小僧はこれまでのいきさつを光友公の霊に説明した。すると、
「さうか。さうであつたか・・・」
と光友公の霊は顔を曇らせ何やら考へる様子。
「光友公には何か心当たりでも?朝比奈や唐子のことを御存知で?」
「うむ、朝比奈義秀については幾らかの。その昔和田合戦で北条方に敗れた後、父義盛の領地だつたこの戸山に暫く隠れてゐたといふ話しを聞いたことがある。しかし、唐子については予も見当が附かん。予がこの戸山に住んでゐた頃には、そのやうな澤山の唐子人形など庭にも屋敷の中にも無かつた筈だが。うーむ、すると・・・」
「すると?」
「うむ、予が死んだ後、尾張徳川家を引き継いだ誰かがそれをこの戸山に置いておいたのかもしれぬ。それが何か訳があつてこの敷地の何処かに長い間埋まつてゐた。そして、それに何かの霊が乗り移り、朝比奈に唆されて今になつてこの地上に現れた。さういふことかもしれぬ」
「なるほど。では一体どんな殿様があんなに澤山の唐子人形をこの戸山に、また、どういふ訳で置いておいたのだらう?」
「分からん。予もそれを知りたいがの。それよりも、予が心配なのはそれを操る朝比奈、大きな烏に化ける朝比奈義秀だわ・・・うん?大きな烏?・・・さうか!うむ、思ひ出したぞよ!」 |
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