尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[46]


〜第46回〜
小僧と煙突童子は思ひがけぬ声に驚いて天井から眼を降ろし辺りを見廻した。と、直ぐ様悲鳴にも近い驚きの声が煙突童子の口から放たれた。
小僧はといふといきなり眼に飛び込んで來た人間の顔に跳び上がらんばかりに驚いた。それも一つではなかつた。幾つもの人間の顔が突如として眼の前に現はれて、じつと小僧を睨んでゐるではないか。
小僧は声を失ふなりぐるつと体を一廻転させた。そして、自分たちがいつの間にか澤山の男に取り囲まれてゐることに漸く氣附いた。
氣附くと同時にその男たちの異様な姿恰好に面喰らつた。一体何事が起きたと言ふのか、男たちは皆が皆頭にちよんまげを結い羽織に袴、腰には二本差しといふ江戸時代の武士の恰好をしてゐたから小僧たちも吃驚仰天、からくり横転、構はずどんてん、思はず眼が点、となつた。
しかし、そのタイムマシーンに乗つて江戸時代から抜け出して來たやうな男たちは、いづれも鋭い眼附きをしてゐたが小僧たち二人に危害を加へる様子は無かつた。所狭しと肩を寄せ合ふやうにして小僧たちを取り囲んだまま、二人を物珍しさうにまるで動物園の珍獣を見るかのやうな眼附きで凝視するだけだつた。
「こ、この人たちは一体・・・小僧よ、これはどういふことだ?」
「うーむ、オイラにも訳が分からん。ひよつとして、時代劇に駆り出されたエキストラの人たちか?しかし、何故こんな処に?この近くに撮影所でもあるのか?」
「無い、無い、そんなものは無いぞ、小僧よ」
「すると、野外ロケか?しかし、こんな教会に江戸の侍では絵にならんしな。ふーむ、突然このやうな処に現はれたこの姿恰好から察するに・・・まさか?」
「といふと、ゆ、ゆう・・・」
「うむ、今度はその本物が現はれたのかもな」
と小僧たちが突如現はれたその不審な武士の集団に圧倒されてゐると先程と同じ声が聖壇の方から聞こえた。
「これ、そこにをるお前たち!」
再びの声に虚を突かれた小僧たちが聖壇の上に顔を向けると、今まで取り囲んだ男たちだけに氣を取られてゐた小僧たちの眼に二人の男がそこに悠然と立つてゐるのが見えた。
その二人もやはり武士のやうだつたが、ひとりはその姿恰好から若い殿様で、まうひとりは刀のやうな物を立てて手に持つてゐる様子から殿様に従ふ小姓のやうに見えた。
小僧はその殿様のやうな男の顔が眼に入ると、最近見た大映の映画が頭の中に強い印象を残してゐたせいか思はず叫んでしまつた。
「あ、浅野内匠頭!」 
実際、それは映画の『忠臣蔵』の中で浅野内匠頭を演じた市川雷蔵にそつくりと言つてもよいくらいの顔だつた。市川雷蔵の鼻を少し大きくして先を緩やかに曲げ、切れ長の眼をまう少し吊り上げたやうな顔と言へばよいか、そのやうな今は亡き映画俳優にも似た若い男が、ちよんまげ姿も凛凛しく、江戸時代の高貴な殿様が身に附けるやうな豪華な羽織袴にやや背の高い細身の体を包み、眼の前に颯爽と立つてゐる姿は、映画のワン・シイーンを見てゐるやうな錯覚に陥らせるもので、それを眼のした小僧が松の廊下で吉良上野介を相手に刃傷に及んだ悲劇の主人公の名を咄嗟に叫んだのも無理からぬことと言へた。
そして、そのやうな雰囲氣を創り出してゐる最大の功労者がなんと言つてもその男の豪奢な身なりだつた。
それは、浅葱地に葉を白や萌黄で染めた葵の紋を散りばめた小袖に、紺の地に小菊文が見事なまでに染め抜かれた眼の醒めるやうな袴、そしてその上に紫地に二葉葵の大きな文様が散らされた紋附きの羽織といふ具合で、小僧たち二人の眼は忽ちその華美な姿に釘附けにされてしまつた。
「お前たち、予は浅野内匠頭なんかではないぞよ。この大きな葵の紋が眼に入らんか?」
「葵の紋?といふことは・・・はて?小僧よ、一体誰だらう?」
「葵の紋附きを着てこんな処に現はれる殿様といふと、ひよつとすると暴れん坊将軍吉宗、その吉宗の幽霊か!?」
「幽霊は幽霊だがな、吉宗ではないぞよ。ぼんくらの吉宗なんかと間違へるでないぞよ。お前たちは知らんかもしれんが、予は尾張の徳川光友だわ」
「え!すると、箱根山を築いた、あの光友、光友公か!?」
「うむ、その光友だわ。待ち草臥れたぞよ。いつ出番が來るのかと痺れを切らしてをつたところだわ」
「小僧よ、この光友公の幽霊は若くてハンサムだが、光友公はひよつとして若くして亡くなつたのか?」
「フオツフオツフオツフオツ、余がこんな若い時の姿で現はれたので吃驚してをるな。余はな、女性たちにモテにモテた若い頃が忘れられんでな、それでこのやうな恰好で現はれたといふ訳だわ、フオツフオツフオツフオツ」

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