尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[45]


〜第45回〜
小僧が元浜線で出くはした怪しい老人の語る徳川光友の話は更に続く。
光友といふ殿様はな、その残した功績が小さくないにもかかはらず巷ではあまり評価されておらん。父である初代藩主義直の遺業を引き継いで、戦乱で荒廃した尾張を平和で豊かな国にしようといろいろと骨を折つた名君と言つてもよいくらいの人物なのだが、人々の注目を集めるやうな目新しい政策が特に無かつたことや歴史的事件に関係しなかつたせいか、後世の人々がその名を口にすることは殆ど無い。断崖の下に咲く一輪の百合の花のやうに人から顧みられることなく歴史の中に埋没しておる。悲しいことよなう。うむ、実に悲しい。
お前さんは光友の詠んだ和歌を何処かで目にしたことがおありかな?さうか。無いか。光友が書いた書画はどうかな?さうか。無いか。
光友が舞つた能のビデオは?ヒヒ、そんなものあるはずがないわな。それは冗談だが、しかし、それは残念。光友はな、幼い頃から柳生兵庫介※1やその子の連也斎※2に附いて剣を学んでおつて、その腕に関しては連也斎から折り紙を附けられたくらい武技に優れておつたが、歌詠みとしても能書家としても一流だつた。正に文武両道に秀でた稀有な殿様だつた。さう言つてもよいだらう。嘘ではない。特に書の方は将軍以下並み居る大名を唸らせたほどの腕前でな、その頃既に店を出しておつた両口屋是清※3が千両箱を持つて店の表に掲げる看板書いてくれと頼みに來たくらいだわ、ヒヒ。したがつて、そのやうなことを考へただけでもお前さんのやうに光友を平凡な殿様とは言へないのではないかの?さうか。バカ殿様と言つて悪かつたとな?うむ、だわな。
それに、光友はな、その辺の大名とは違つて、神様や仏様をとても大事にした殿様としても有名だつた。熱田神宮を始めとして建中寺※4、興正寺※5、清浄寺※6、観福寺※7、東輪寺※8、栄国寺※9、大縣神社※10と、その修復、創建した社寺は、そりやまう、数知れないほどだつたわ。

建中寺と筒井町「神皇車」 (画像提供朱高欄氏)
お前さん、熱田神宮は知つとるわな?うむ、建中寺はどうかな?なに、知つとると言はつしやるか?ほおー、東京の人が知つておられるとは。それは偉い。
さうさう、光友が父義直の菩提を弔ふために創建した寺で光友のお墓がある寺だわ。よく御存知だの。なに、訪れたこともあるとな?筒井の天王祭の時にか?ふうーん、それはそれは。
では興正寺はどうかな?さうか。さすがに知らんか。なになに?光友の創建した寺なら大森寺※11を忘れてはゐないか、とな?くうー、なんといふことだ!いや参つた!お前さんの言ふ通り、大森寺を忘れておつたわい。ワシとしたことが、光友を語るには欠くことの出來ぬ大事な大森寺を忘れておるとは。いやはや、ワシも耄碌(もうろく)したもんだわ。お前さんに反対に教へられるとは。
うん?何故にお前さん大森寺を知つとる?横須賀の歴史を調べた時に光友のことも少し調べておいた、とな?ふうーん、さうか。では、光友が生母の乾(いぬい)の方の菩提を弔ふために創建した寺といふことも御存知といふわけだな?さうか。では、乾の方が江戸で亡くなられた関係で最初は江戸にあつた菩提寺を光友がわざわざその出生地である大森村に移して建立したといふこともご存知か?なに、知つとるとな?さうか・・・・・・。
これは失礼、お前さんの顔をまじまじと見てしまつたやうで。はて?・・・・・・。いや、なに、なんでもない。ちよつと頭に浮かんだことがあつてな。大したことではない、ヒヒ。それはさうと、お前さん、お前さんはひよつとして猫を被つておるのでは?先程からワシが何か言ふ度に反論したり光友のことはあまり知らないやうなふりをしておるが、本当は光友のことをよく知つとるのではないのかな?違ふかの?なに、そんなことはない?ワシの思ひ過ごしと言はつしゃるか?大森寺のことをよく知つてゐるのはインターネツトの或るサイトにそれが詳しく書いてあるのをたまたま見たから、とな?ふうーん、さうか。ところで、何かな?そのインタラなんとかといふのは?
なに、インターネツト?ネツトと言ふからには網のことか?ワシはこれでも英語は多少知つておるからの、ヒヒ、すると、地引網かなんかで・・・うん?なんか変だの、そんな網のやうなもので一体どうやつて?なに、パソコンでネツトに繋がる?さうか。うむ、パソコンといふのはワシも聞いたことがある。すると、パソコンといふのは網を束ねる機械だつたのか?人間で言ふと差し詰め地引網を手繰る漁師みたいなもんだな、きつと。うん?どうした、お前さん?急に黙り込んでしまつて?
小僧注
※1 柳生兵庫介利巌(1579-1650)祖父石舟斎の薫陶を受ける。柳生新陰流正統で尾張柳生の祖。尾州家兵法指南役。
※2 柳生連也斎厳包(1625-1693)。利巌の三男で尾張の麒麟児と称えられた天才的な剣の達人。
※3 寛永11年(1634)猿屋三郎右衛門が那古野本町に饅頭屋を開業。
※4 名古屋市東区筒井町。1650年創建。総ヒノキ造りの山門、総ケヤキ造りの総門は創建当時のもの。本堂後ろの徳川家の霊廟は1787年再建。
※5 名古屋市昭和区八事本町。高野山の末寺で僧天瑞が1688年創建。光友寄進の巨大な本尊大日如來像(高さ3.6メートル)がある。
※6 名古屋市中区大須4丁目。矢場地蔵として知られてゐる浄土宗の寺。徳川家の祈願所として光友により創建。
※7 東海市太田町天神下。702年に天台宗の僧行基が開山した知多三山の一つ。1665年光友により本堂建立。
※8 1674年光友により名古屋の裏鬼門を守護するため高僧即非如一禅師を勧請して開かれた黄檗宗の寺院。
※9 名古屋市中区橘1丁目。1665年処刑された切支丹宗徒200余人鎮魂のため栄国寺の前身が建立された。
※10 犬山市宮山3丁目。尾張開拓の祖である大縣(おおあがた)神を祀る古社。社殿は国の重要文化財。1660年に光友により再建。
※11 名古屋市守山区大森字弁天堂。浄土宗知恩院の末寺。乾の方の菩提寺は江戸につくられ歓喜院と言つたが、1661年春日井郡大森村に移され大森寺となつた。光友の歌に「たやすなよ大森寺の鐘の音たとへこの世はかはり行くとも」がある。

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