尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[43-2]


〜第43回の2〜
さうさう、さうであつた。光友が御殿を建てた頃の横須賀の話をしておつたのだつた。それがなんだか堅い話になつてまつて、ヒヒ、勘弁して下され。
要するに、ワシが言ひたかつたのは、この横須賀に御殿や町方が作られた時もそこには意識せずとも『自然』に対する畏敬の念が働いており、神様を怒らせるほど『自然』が損なはれたといふことは決して無かつた、といふことだわ。
むしろ、そこには人間と『自然』との間の血の通つた温もりのある交流、神様との円満な対話、さういふものがあつた。さう言つてもよいだらう。なにしろ、うむ、その企画を立てた光友自身『自然』をこよなく愛する、風流といふものを十分解する、そのやうな立派な殿様だつたからの。ヒヒ、これはちよつと褒め過ぎかもしれんがな、ヒヒ。
したがつて、そのやうな『自然』を大事にする工夫が為された結果、『自然』と御殿と町が見事に調和した風景がそこに現出された。その美しい『自然』に囲まれた尾張の殿様の城下町ならぬ御殿町には独特の風情と活氣があつた。とワシは想像しておる。
広重がその頃生きておつて訪れたなら、必ずやその風景に感動して澤山の版画や肉筆画にそれを描き残したに違ひない。
なう、お前さん、これはワシの一方的な思ひ込みかの?さうか。何とも言へぬか。だわな。お前さんに聞いても仕方が無かつたな、ヒヒ。しかし、単なる思ひ込みとも言へまい。それは光友の愚かな思ひ附きで『自然』を無理矢理切り開いて作つた町、特別これと言つた情緒も興趣も感じられない只の海辺の漁師町だつた、とは言へまい。
なに?さうだつたかもしれぬと言はつしやるか?広重もなんの興味も示さずさつさと通り過ぎたかもしれない、とな?トホホ、それは酷い。それではあまりにも哀しい。過去の人々が築いてきた横須賀の歴史にロマンといふものがまるで無いではないか。寂しいことを言はつしやる人だわ、お前さんは。
なになに?光友は横柄で我儘なだけの平凡な殿様で元元風流を解する美質なんてこれつぽつちも持ち合はせてゐなかつた、とな?志村けんのバカ殿様と何ら変はらぬと言はつしやるか?くうー、なんといふことを!そこまで言はつしやるか、お前さんは?トホホホ、泣けてくるなう。
お前さんからそのやうな言葉を聞くとは思はなかつた。わざわざ横須賀までまつりを見に來なさつた人とは思へん、薄情な人だわ、お前さんは。
なに?冗談だから氣にしないでくれと?さうか。やはり冗談か。どうやらお前さんはこのワシをからかつて喜んどるやうだな、ヒヒ。お人が悪い。老人をからかうのはあまりよい趣味とは言へんがの。
なになに?ワシの昔の横須賀や光友に対する思ひ入れが普通ではないのでつひからかいたくなつた、とな?さうか。ワシの話がそのやうに聞こえたか。うむ、さうかもしれんな。
しかし、それも致し方あるまい。思ひ入れが無いと言へば嘘になるだらう。ワシは個人的に徳川光友といふ人物を大いに氣に入つておつてな。したがつて、その光友が愛したこの横須賀にも人一倍愛着がある、とまあ、さういふ訳だわ。

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