老人の話は『失はれた昔の風景』から更に徳川光友の話へと続く。
ともかく、そういふ訳で、そのやうな人々に『自然』を手荒に扱ふことが出來ただらうか。なう、お前さん。山の木を一本切り倒すにも神経を使つたに違ひない。切り倒す前には必ず神様に許しを乞ふただらう。
光友の時代には、これは横須賀ではなかつたがの、新しく田んぼを増やすために諸処の低湿地や河川敷を開発したが、その時もいろいろな処から神様をお借りしてきてそれぞれに祀つたものだつた。
なに?新田開発は人間の都合にだけ合はせて『自然』を一方的に破壊する行為とは言へないか、とな?うむ、お前さんの言ふ通り、確かにそれは『自然』を幾らか歪めたかもしれん、が、多大な労力と費用を懸けてまで新田を開発したのにはそれなりの理由があつた。
戦乱の世が終はり人口が急増した結果お米が不足したし、あぶれた農民や浪人の働き場所を確保してやる必要もあつた。それには田んぼを増やす以外に無かつた。さういふことだわ。
なにしろ、その頃の経済はお米を中心に動いておつたからの。経済基盤は農業だつた。しかし、新田開発もそれぐらいの規模では『自然』に大きなダメージを与へてそれを悲しませるやうなことにはならない。
それによつて『自然』が背負はされた負担は重いものとは言へなかつた。
したがつて、環境問題を引き起こすことも無かつた。ところが、その後銭貨が本格的に流通するやうになると人々は自分たちの利益を限り無く追求するやうになり、『自然』や神に対する畏敬の念を忘れてしまつた。
野や山を乱暴に切り開き海をどんどん埋め立てて新田開発は止まる所を知らないやうに・・・おつとつと、いつの間にか話がまた横道に逸れてしまつたやうだの。
うん?なんでこんな処でワシはお前さんとこのやうな経済論や環境論のやうな話をしとるんだらう?
|
尾張名所図会より小田切春江の描く「横須賀」 天保年間 |
|