神楽小僧の横須賀まつり訪問記第43回

老人の話は『失はれた昔の風景』から更に徳川光友の話へと続く。
ともかく、そういふ訳で、そのやうな人々に『自然』を手荒に扱ふことが出來ただらうか。なう、お前さん。山の木を一本切り倒すにも神経を使つたに違ひない。切り倒す前には必ず神様に許しを乞ふただらう。
光友の時代には、これは横須賀ではなかつたがの、新しく田んぼを増やすために諸処の低湿地や河川敷を開発したが、その時もいろいろな処から神様をお借りしてきてそれぞれに祀つたものだつた。
なに?新田開発は人間の都合にだけ合はせて『自然』を一方的に破壊する行為とは言へないか、とな?うむ、お前さんの言ふ通り、確かにそれは『自然』を幾らか歪めたかもしれん、が、多大な労力と費用を懸けてまで新田を開発したのにはそれなりの理由があつた。
戦乱の世が終はり人口が急増した結果お米が不足したし、あぶれた農民や浪人の働き場所を確保してやる必要もあつた。それには田んぼを増やす以外に無かつた。さういふことだわ。
なにしろ、その頃の経済はお米を中心に動いておつたからの。経済基盤は農業だつた。しかし、新田開発もそれぐらいの規模では『自然』に大きなダメージを与へてそれを悲しませるやうなことにはならない。
それによつて『自然』が背負はされた負担は重いものとは言へなかつた。
したがつて、環境問題を引き起こすことも無かつた。ところが、その後銭貨が本格的に流通するやうになると人々は自分たちの利益を限り無く追求するやうになり、『自然』や神に対する畏敬の念を忘れてしまつた。
野や山を乱暴に切り開き海をどんどん埋め立てて新田開発は止まる所を知らないやうに・・・おつとつと、いつの間にか話がまた横道に逸れてしまつたやうだの。

うん?なんでこんな処でワシはお前さんとこのやうな経済論や環境論のやうな話をしとるんだらう?


尾張名所図会より小田切春江の描く「横須賀」 天保年間

さうさう、さうであつた。光友が御殿を建てた頃の横須賀の話をしておつたのだつた。それがなんだか堅い話になつてまつて、ヒヒ、勘弁して下され。
要するに、ワシが言ひたかつたのは、この横須賀に御殿や町方が作られた時もそこには意識せずとも『自然』に対する畏敬の念が働いており、神様を怒らせるほど『自然』が損なはれたといふことは決して無かつた、といふことだわ。
むしろ、そこには人間と『自然』との間の血の通つた温もりのある交流、神様との円満な対話、さういふものがあつた。さう言つてもよいだらう。なにしろ、うむ、その企画を立てた光友自身『自然』をこよなく愛する、風流といふものを十分解する、そのやうな立派な殿様だつたからの。ヒヒ、これはちよつと褒め過ぎかもしれんがな、ヒヒ。
したがつて、そのやうな『自然』を大事にする工夫が為された結果、『自然』と御殿と町が見事に調和した風景がそこに現出された。その美しい『自然』に囲まれた尾張の殿様の城下町ならぬ御殿町には独特の風情と活氣があつた。とワシは想像しておる。
広重がその頃生きておつて訪れたなら、必ずやその風景に感動して澤山の版画や肉筆画にそれを描き残したに違ひない。
なう、お前さん、これはワシの一方的な思ひ込みかの?さうか。何とも言へぬか。だわな。お前さんに聞いても仕方が無かつたな、ヒヒ。しかし、単なる思ひ込みとも言へまい。それは光友の愚かな思ひ附きで『自然』を無理矢理切り開いて作つた町、特別これと言つた情緒も興趣も感じられない只の海辺の漁師町だつた、とは言へまい。
なに?さうだつたかもしれぬと言はつしやるか?広重もなんの興味も示さずさつさと通り過ぎたかもしれない、とな?トホホ、それは酷い。それではあまりにも哀しい。過去の人々が築いてきた横須賀の歴史にロマンといふものがまるで無いではないか。寂しいことを言はつしやる人だわ、お前さんは。
なになに?光友は横柄で我儘なだけの平凡な殿様で元元風流を解する美質なんてこれつぽつちも持ち合はせてゐなかつた、とな?志村けんのバカ殿様と何ら変はらぬと言はつしやるか?くうー、なんといふことを!そこまで言はつしやるか、お前さんは?トホホホ、泣けてくるなう。
お前さんからそのやうな言葉を聞くとは思はなかつた。わざわざ横須賀までまつりを見に來なさつた人とは思へん、薄情な人だわ、お前さんは。
なに?冗談だから氣にしないでくれと?さうか。やはり冗談か。どうやらお前さんはこのワシをからかつて喜んどるやうだな、ヒヒ。お人が悪い。老人をからかうのはあまりよい趣味とは言へんがの。
なになに?ワシの昔の横須賀や光友に対する思ひ入れが普通ではないのでつひからかいたくなつた、とな?さうか。ワシの話がそのやうに聞こえたか。うむ、さうかもしれんな。
しかし、それも致し方あるまい。思ひ入れが無いと言へば嘘になるだらう。ワシは個人的に徳川光友といふ人物を大いに氣に入つておつてな。したがつて、その光友が愛したこの横須賀にも人一倍愛着がある、とまあ、さういふ訳だわ。