尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[41]


〜第41回〜
怪しい老人の語る『失はれた昔の風景』の話は更に続く。
「さうさう、さうさう、さうであつた、この辺りの景色が昔はどんなに素晴らしかつたか話しておつた、うむ。光友の横須賀御殿の話になつたところだつたかな、うんうん。
で、その光友の御殿がその頃は馬走瀬村と呼ばれた鄙びた小さな漁村に過ぎなかつたここ横須賀に建てられ、横須賀町方といふものが出來、ここに澤山の人が住むやうになつた。だが、光友の心を捉へたその見事な景色、即ち『自然』は、御殿や町が出來てそれが大きく損なはれたかといふと、いやいや、そんなことは無かつた。
御殿や町を作るにはある程度野や森林を切り開く必要があつたが、そこに人間が住む以上それも致し方の無いこと、それをなんの考へもなく人間の都合にだけ合はせて一方的に切り崩し根底から歪めるといふ、そんな『自然』を見下したやうな行為はそこには無かつた。さう言つてもよいのではないかな。
なに?結局人間の都合に合はせとるではないかと言はつしやるか?光友が町方を作つたことで横須賀の美しい『自然』は歪められたのではないか、とな?そんなことはない。光友が町方を作らなくとも後世必ずや横須賀は開発されたであらう。ワシが言ひたいのは、人間が自分たちの利益を限り無く追求するといふ貪欲な目的のために闇雲に『自然』を破壊するといふ傲慢かつ身勝手な行為はその頃はまだ無かつたといふことだわ。
なに?その頃は社会が未成熟で資本主義といふものが発達してゐなかつた?うむ、お前さんの言ふ通り、その頃は前近代的な封建時代で科学も進歩しておらんかつたからな。お前さんが言ひたいことは分かる。もし、光友の時代に資本主義といふものが発達しておつて、おまけにブルドーザーなどといふものがあつたなら、当時の横須賀の景観もどうなつておつたか分からない、とさう言ひたいのであらう。
うむ、確かにさうかもしれんな。さう言はれるとワシも否定のしようが無い。土地や水のやうな『自然』のものから知的なものまであらゆる物が商品となり、銭が全てに物を言ふやうになれば人間の意識や考へ方は根本的に変化してしまふ。人々が『自然』の全てを銭で計るやうになつたとしても不思議ではない。さうなると、神様の造形した庭園とも言ふべきその美しい『自然』も一萬円札が百円玉に崩されるやうに取り崩されることになるであらう。
そのうへ、科学技術が発達したとすると、こりやまう、尚更だわな。仮に、その頃がさうだとすると、うむ、お前さんが言ふやうに横須賀の景観も大分変はつたものになつておつただらう。光友も御殿ではなくそこにゴルフ場を造つておつたかもしれんわな。『尾州家直営尾張横須賀草球遊技倶楽部』などといふ看板が愛宕神社の隣に立つておつたりして、ヒヒ。
そして、そのゴルフ場のルールを記した高札にはかう書かれてあつたりして。
『於此遊技場中喧嘩口論無之時、番人ハ勿論会員早々不出合、双方不分奉行所之不可届事(この遊技場において喧嘩口論これなきとき、番人はもちろん、会員早々に出合はず、双方を分けず、奉行所へ届けべからざること)』※1
ま、それは冗談だが、残念なことにといふか幸ひなことにといふか、光友の時代は今のやうに資本主義も科学も発達してはおらんかつた。発達しておらんかつたから人々の『自然』を見る眼も違つておつた。それを限り無く収奪する対象、あるいは広大なゴミ捨て場と考へて、あたかも奴隷か何かのやうに軽視することはなかつた。軽視するどころではない、それどころか、人々は『自然』を崇めておつた。何故なら、昔の人々は『自然』のあらゆるものに神が存在すると思つておつたからの。
山の神、海の神、水の神と、彼等は『自然』の中に神様を、その不可思議な、絶大な力を持つ存在を意識しておつた。そして、それは人々に多大な恵みをもたらし、人々を幸福にしてくれる存在だつた。水は言ふまでもなく魚にしろ穀物にしろ野菜にしろ、全ては神様からの賜はり物と人々は考へておつた。したがつて、神様の『自然』を蔑ろにするなんて到底考へられないことだつた。
その神様の領域を人間が勝手に侵して神様を怒らせたら、ふむ、どのやうな目に遭ふか人々は知つておつた。幾日も雨が降らないと、それは農民たちの餓死を意味した。澤山の恵みを与へてくれる海も一度荒れ狂つたら、その暴れ様はどんなに物凄いか人々は知つておつた。といふやうな訳で、当時の人々の神様を崇拝する氣持や『自然』観は今の人々のそれとは、そりやまう、大分異なつておつた・・・おつと、失礼、そのやうなことはお前さんも学校で習つたであらうから今更ワシが偉さうにくどくどと説明する必要もなかつたな、ヒヒ。

小僧注
※1
本來ならば『喧嘩口論これあるとき・・・、奉行所へ届けべくこと』となるはずであるが、このやうに江戸時代の高札を風刺したやうな文になつてゐるのには訳があつて、なんのことか分からないと思はれる人もをられると思ふが、後々の話に関係してくる事なれば仔細はその時まで待たれよ。

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