尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[37]


〜第37回〜
「うむ、実に旨かつたわい、ヒヒ。あ、いや、一口で十分ぢや。ごつそさん」
とその老人は紙コツプのビールを喉を鳴らしながら一氣に煽ると、ほかの氏子が注がうとするビールを断つてその場を離れた。小僧はその老人が妙に氣になつた 。元浜線を南の方へ歩いて行かうとする老人に駆け寄るとその肩をポンポンと叩きながら顔を覗いた。
「お爺さん、お爺さんにちよつと尋ねたいことがあるのだが、お爺さんはこの辺の人かい?」
「うん?おお、ビールを恵んでくれたお人だな、お前さんは。あん?今なんと言はつしやつた?変な人買い?ワシは人買いなんかではないがの」
老人は一瞬立ち止まつてサングラスの奥から小僧の顔を怪訝さうに見たがすぐにまた歩き始めた。何処へ行かうとするのか、丸い背を更に前に傾けて傘を杖代はりにしながらとぼとぼと歩いて行く。
耳が遠いやうだなこのお爺さんは
小僧は老人と並んで歩きながらその耳元に顔を近附けて一段と声を大きくした。
「お爺さん、お爺さんはこの横須賀の人かと聞いたんだが?」
「さうか、さうであつたか。ヒヒ、山椒太夫の時代ならともかく今時『人買い』などといふ言葉は使はんわな、ヒヒ。ワシか?いや、ワシはこの辺りの者ではないが、それがどうかしたかな?」
「いや、その、横須賀の人だつたら、昔の横須賀をよく知つてゐるのではないかと思つてな。お爺さんは見たところ大分年を重ねてゐるやうだし、この元浜近辺が昔どのやうになつてゐたか知つてゐたら聞かうと思つたのだが。元浜と言ふからには砂浜の海岸が以前ここにあつたといふことを意味するのではなからうか、さう思つたら急に興味を覚へてな」
「この元浜か?うむ、その通り。今のこの何と言ふことも無い景色からは想像出來ないであらうが、ここには昔、そりや、まう、美しい干潟が、天女たちが舞ひ降りてそこで海水浴を楽しんだりビーチバレーをして戯れたりしたくなるやうな、うむ、そのやうな美しい干潟が広がつておつた」
「天女たちが海水浴やビーチバレー?ひよつとしてそれはビキニ姿でか?あ、いや、ヘヘ、単なる独り言で、ヘヘ。やはり、さうか。すると、それはどのやうな様子だつたのだらう。そこには昔から続く港があり、ポン、ポン、ポン、ポンとエンジンの音を軽やかに響かせて小さな漁船が澤山出入りしてゐたのだらうか?」
「港?エンジン?そりや、最近の話だな」
「うむ、先程同盟書林といふ本屋さんで、ヘヘ、店番をしてゐる娘さんの眼を盗んで森俊夫さんといふ人の書いた『我が町我が故里のまつりどんてん』といふ本を立ち読みしてゐたら、そのやうな港がここ横須賀にあつたといふ話が載つてゐた」
「さうか、ワシはお前さんがもつと昔のことを尋ねとるのかと思つたが、さうか、違つたやうだな。お前さんはこの辺のことをよく知らないやうだが、すると、何処から來なさつた?ふうーん、東京から、ほおー、わざわざ横須賀まつりを見物にとな。それはそれは、ヒヒ、お前さんも物好きなお人だわ、ヒヒ。東京と言へば、うむ、昔は江戸と言つて徳川の将軍が居られた処でな。そんなことは誰でも知つとる?さうであつたな、ヒヒ。その江戸・・・ではなかつた、東京にはワシも昔住んどつたことがある。うむ、随分と昔のことではあるがの。懐かしいなう、その頃を思ひ出すと。吉原に、その、ワシがぞつこん惚れた女がおつてな、ヒヒ。田中絹代と岡田嘉子を足して二で割つたやうな、小股のキユツと切れ上がつた、うむ、いい女だつた。随分とその女に入れ揚げたもんだわ、その頃は。結局は大変な散財をしただけに終はつたがな、ヒヒ。それからかなりの年月が経つてからまた東京に行くことがあつたが、その時は、いや、まう、その町の変はり様に吃驚仰天、腰を抜かしたことがあつたわ。うん? なんか話が横道に逸れてしまつたやうだが、ワシは今まで何を話しとつたのかな?お前さんが何かワシに尋ねたやうな氣がしたが。さうさう、さうであつた。この辺りが昔どのやうになつておつたかといふ話だつた。たしか、エンジンの音を響かせた漁船が出入りする港がどうのかうのと言つておつたな。そりや、あるにはあつたが、お前さんも変はつたお人だわ。そんなことを知つてどうする?」 
「どうするたつて、その、横須賀の海がかうやつて埋め立てられて無くなつた今、当時の風景を偲んでみたいと思ふのが人情ではないか。それが風光明媚な海岸や港であつたとしたら尚更であらう」
「風光明媚?どうかな、そりや。過去が懐かしいからさう言ふ人もおるだらう。だが、その当時はそんな風には思つとらんかつたのではないかな、この辺りの住人は」
「だが、今のこの、海から遠ざけられたコンクリートだらけの景色よりは遥かによかつたのではないだらうか?」 

尾張名所図絵より
「ま、海が臨めたといふ点ではさうかもしれんな。だが、海が見えたといつて、それがなんになる。汚れ続けていくだけの海を拝んでも仕方が無い。海がいくら見渡せても、それが本來の姿でないなら、水の澄んだ美しい海でなかつたら、そこに広がる景色に魅力があると言へるだらうか。お前さんはつい最近の景色のことを言つとるやうだが、景色だけのことを言つたら、大昔、この横須賀が町方になる以前の、この辺りが小さな漁村だつたころの景色にそれは到底及ぶまい。神様の造られた『自然』といふものが人間の醜い手によつて傷附けられたり汚されたりと、今のやうに虐待されることの全く無かつた時代、海が乙女のやうにその清らかな美しさを保つておつた時代、そのやうな時代の無垢で原始的な風景に、うむ、それは及ぶべくもないだらう。なう、お前さん、さうは思はんか。したがつて、そのやうな昔の素晴らしい風景が全く失はれた今、少し前のこの辺りの景色がどうだつたかと振り返つたり、懐かしさうに偲んだりしても、お前さん、仕方が無い、うむ、意味が無いといふもんだわ。それは言ふならば、昨日落とした糞の色や匂ひはどうだつたかと、ヒヒ、振り返るやうなもんだて。おつと、こりや、ちいと例へ方に品が無かつたか、ヒヒ、勘弁して下され」

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