尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[36]


〜第36回〜
「なに?廃墟になつた教会だと?すると、明かりが灯つてゐるのは一体どういふことだ。変だな。よし、中へ入つてみよう」
小僧と煙突童子は入り口を探すと半分壊れたドアを押し開いて中に入つた。すると、そこには場末の映画館のやうな精氣の無い薄暗い空間が広がつてゐた。教会としては比較的小じんまりとした礼拝堂の内部がそこにぼんやりと見てとれた。礼拝堂の奥に一際明るい場所があつた。そこは聖壇で、中央に祭壇らしきテーブルが置かれてゐて、その上には大きな燭台だけが真中に載せてあつた。燭台の上には数本の蝋燭が立てられてゐたが、その全てに火が点されてゐて、ゆらゆらとした炎は何処と無く神秘的な光を辺りに放つてゐた。
その明かりに照らされた奥の壁には十字架を背負つたキリストの像が架けられてゐたが、その像の辺りから天井にかけては蜘蛛の巣がびつしりと蔓延つてゐるやうに見えた。そのほかにこれと言つた装飾品も無い礼拝堂は伽藍としてゐて、明かりがあるにもかかはらず、そこに人の氣配は無かつた。不氣味な、深海の底のやうな静けさが辺りを支配してゐた。
小僧たちの目の前に奥の聖壇に向かつて伸びてゐる通路があつた。その通路を挟んで両側に、長い木の机と椅子が幾つも正面の聖壇に向かつて整然と並んでゐた。小僧が何氣無くその机の上に手をやると、そこには降り積もつた砂のやうな埃がザラザラと感じられた。
二人は、そのうち何かが暗い処から跳び出して來るかもしれないと用心しながら、その通路を聖壇に向かつて歩いて行つた。

聖壇の前まで來るとドンといふ音がした。煙突童子が何かに躓いて転んだやうだつた。
「アイタタ、向う臑を打つてしまつた。うん?変だな、こんな処に長櫃が置いてあるぞ」
よく見ると、なるほど、聖壇の前の床に長くて大きな箱のやうな物が沢山置いてあつた。
小僧は近附いて一つの箱に手を置いた。
「これは長櫃ではないぞ、木で出來た棺ではないか」
と、そのとき聖壇の横の方からギイーと扉の開くやうな音が聞こえた。小僧たちは音のする方に顔を向けた。すると、礼拝堂の暗い奥まつた処に小さな明かりが揺らめくのが見えた。小僧たちがその明かりを凝視してゐると、それは小僧たちの方にだんだんと近附いて來た。そして、祭壇の傍で止まつた。明かりは小さな燭台に点る一本の蝋燭の炎だつた。
その明かりに照らし出されたのは、黒いキリスト教の僧衣を纏ひ、片手にその燭台を持つた、ひどく背の曲がつたひとりの老人だつた。
老人は小僧が以前能の舞台で観たことのある尉面にそつくりの顔をしてゐた。後ろで短い髷に束ねた白髪に、口髭と顎髭を生やした皺だらけの、如何にも好好爺とした優しい顔が蝋燭の炎にゆらゆらとしてゐた。だが、よく見るとその眼と口元は、地獄を経験したことがあるとでもいふのか、何か深い悲しみを背負はされた人間のやうに歪んでゐた。老人は小僧たちを見ると少なからず驚いたやうに見えた。

「何処のお方かな?こんな夜にどうなされた?何かここに御用でもおありなさるのかな?」
「い、いや、その、この辺を散歩してゐたのだが、あまりに暗くなつたもんだから、へへ、道に迷つてしまつたといふ訳で、へへ。ここには、その、明かりが点いてゐるから誰か居るに違ひない、公園に戻るにはどうしたらよいかお尋ねしようと、まあ、さういふ訳で、へへ 」
と小僧がその場を何とか取り繕ほうとすると、そのキリスト教の司祭のやうな恰好の老人は、ニヤツと何処と無く薄氣味の悪い笑顔を作つたかと思ふと突然笑ひ出した。
「ホツホツホツホツ、それはそれは、ホツホツホツホツ。この辺を散歩してゐたと言はれるか。それは珍しい。最近この辺りをうろつく人間を見かけなかつたもんでな。なにしろ、妙な幽霊が出るといふことで、人間は皆、この戸山ケ原だけは昼間でも敬遠しておるからな、ホツホツホツホツ。そこへ行くと、お前さんたちは随分と勇氣がある。こんな夜になるまでこの辺りを散歩とは。幽霊が怖くないやうぢやな。 もつとも、人間ではないから幽霊は怖くないか、ホツホツホツホツ。これ、お前たち!嘘をつかぬともよい。そんな嘘に騙されるワシではない。お前たちは人間ではないな。なう、さうぢやらう。人間のやうな恰好をしておるが、人間ではない。人間には人間特有の匂ひといふものがあるが、お前たちにはそれが無い。人間ではないとすると、ホツホツホツホツ、妖怪か?妖怪が何しにここへ來た!?妖怪が何か用かい、なんちやつて、オホン、駄洒落を言ふておる場合ではなかつた。さあ、本当のことを言ふてみい!」
「うーむ、バレたら仕方が無い。その通り、オイラたちは妖怪だが、爺さんよ、そのやうな匂ひを嗅ぎ分けるとは、あんたも只者ではないな。司祭のやうな恰好はしてゐるが、怪しい奴だ。一体何者だ!!」

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