尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[35]


〜第35回〜
祭り囃子年少組コンクール大会を覗いてゐた小僧は喉の渇きを覚へて急に冷たい飲み物が欲しくなつた。キヨロキヨロと辺りを見廻すと焼肉屋の前でまつりの関係者に酒やビールなどが振る舞はれてゐる。
「おツ、あんな処でちよつとした宴会が開かれてゐるではないか。フフ、こりやちやうどよい。オイラも戴くとするか」
小僧は賑やかに談笑してゐる氏子連の輪の中に入つて行くと、晴れやかな顔でビール瓶を男たちの紙コツプに傾けてゐる婦人の前に立つた。

「ヘツヘツヘツ、今日は天氣にも恵まれて、まさに祭り日和ですな、へへ、しかし、かう暑いと、へへ、喉が渇いて渇いて、へツへツヘツ」
しかし、婦人はニコニコとするだけで、小僧にビールを差し出してはくれない。
「ヘツヘツヘツ、いやあ、ここの祭りは、横須賀まつりは最高ですな。今まで色々な祭りを見てきたが、へへ、ここの祭りほど感動したものはなかつた!いやいや、ほんとほんと。歴史のある美しい山車と言ひ、それを担ぐ粋な若衆と言ひ、典雅で心に沁みるお囃子と言ひ、そりや、まう、誰がなんと言ほうとここの祭りが一番!間違ひない!へへ・・・]
(マイツタなあ、通じないみたいだぞ、こりや)
「ヘツヘツヘツ、祭りも最高だが、ここに住んでゐる人も最高だな。親切で優しいし、氣前がいいし、へへ、女性は美人が多いし、ほんとほんと。奥さんもかなりの別品ではないか、ヘツヘツ。よく見ると今陽子※1に似てゐるな。いや、失礼、今陽子より奥さんの方がずつと器量がよいやうだ、ヘヘ。奥さんのやうな飛び切りの美人を貰つた旦那が憎い憎い、ヘツヘツヘツ」

「なに?うちの嫁が美人だと言ふか。氣に入つた!何処の人か知らんが、ビールでも酒でも、さあさあ、どんどん飲んでちよお」
と横から小僧の目の前に紙コツプが差し出された。紙コツプを持つ腕の先を見ると、そこには普段着の上に祭りの法被を羽織つた中年の男の、ほろ酔ひ氣分と祭り氣分がなひ交ぜになつた、何処までも人懐つこい笑顔があつた。
小僧は努力が実つて喜んだ。男が紙コツプにぶちまけてくれたビールを一氣に飲み干すと、勧められるままにお代はりを何杯も喉に流し込んだ。
「ふうー、いやあ、まう、生き返つたやうな氣分ですわ、ヘヘ。おツ、こりや、おつまみも戴けるとは。有り難い有り難い。ほお、生の落花生を塩茹でしたものとな?うむ、こりやイケる、モグモグ、しかし、横須賀の人つて、モグモグ、なんて情に厚い、優しい人たちなんだらう、モグモグ、善人の中の善人とはかういふ人たちを指すのだらうか、モグモグ、まさに、人間はかうあるべきといふやうな、全人類の手本ともなるべき人たちだな、横須賀の人は、ヘツヘツ、いや、ほんと、ヘツヘツ。そのうち、世の人たちはかう言ふだらう、人間の美徳といふものがどういふものか知りたかつたら、尾張横須賀に行け!、なんちやつて、ヘツヘツヘツ」
などと歯の浮くやうなおべんちやらを小僧が並べてゐると、後ろからポンポンと小僧の肩を叩く者がゐる。

振り向くと、そこには、汚れの目立つよれよれの鼠色のレインコートにやや背の高い痩せ細つた身を包み、肩まで垂らしたボサボサの白髪の頭の上には埃だらけの中日ドラゴンズの野球帽、薄汚い伸ばし放題の白い髭に占領された顔には大きな鉤鼻の上に片方にひびが入つた丸縁のサングラス、レインコートの下には擦り切れたジイーンズとそこから覗く草臥れたリーボツクのスニーカー、そして、片手にはゴミ置き場に捨てられてゐたやうな骨の折れた柄の長い黒の洋傘といふ、祭りで賑はふその場にはまるでそぐはない、妙な出で立ちの老人※2がヌツと立つてゐた。
「もしもし、おいしさうにビールを飲んでらつしやるではないか。すまんが、このワシにも少し分けてくださらんか。お前さんのその飲みつぷりを見とつたら、ヒヒ、我慢出來なくなつてな、ヒヒ」
老人は一見してその見すぼらしい身なりから乞食かホームレスのやうに見えた。が、その異様とも言へる姿恰好は何処となく怪しい雰囲気を醸し出してゐた。
小僧は一瞬ギヨツとしたが、舌舐めづりしてゐるその老人の願ひを無下にすることも出來ず、飲みかけのビールが半分入つた紙コツプを老人の方に差し出した。
が、そこで小僧はまたしても驚かずにはゐられなかつた。それを受け取らうとしてレインコートの袖から伸びて來たのは骨と皮だけのカサカサに乾いたミイラのやうな腕だつた。

小僧注
※1 横須賀出身らしい。1968年ピンキーとキラーズの「恋の季節」が大ヒツト。一躍国民的アイドルとなる。

nova注
※2 なんだか今後の話のキーポイントになりそうな人物(私もこの先を読んでおりませんので想像ですが)なので挿入画像を我がライブラリから探したのだが、こんな老人の写真などありっこない(^_^;)
頭で想像してみて下さい.恐ろしい風体だこと.....

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