尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[31]


〜第31回〜
前の世からの因縁か、はたまた仏の導きか、いつのまにやら知らぬ間に、酔狂の風に攫はれて、辿り着いたのは故里の、尾張に近き鉄の町、知多にあれども尾張とは、合点が行かぬと首振れば、どこのたわけかひよつとこか、畏れ多くもその昔、尾州の殿様に戴いた、由緒正しきその名前、尾張横須賀を知らないか、ぎよろと睨み胸を張る、化粧まわしに鉢巻きの、祭り衣装も目に眩い、英姿颯爽伊達姿、産まれも育ちも横須賀の、熱き紅顔そこにあり、その若衆御自慢の、山車が主役のそのまつり、横須賀まつりに巡り逢ひ、幸か不幸か知らないが、昔の情緒そのままに、残した佳麗な様式の、乗せた唐子も微笑ましい、五輌の山車に一目惚れ、くわんぐらくわんぐら、あーくわんぐらと、囃子と共に調子よく、法被姿の氏子らと、町を練つたのがそもそもの、悪縁奇縁の始まりか、横須賀御殿露と消え、江戸の繁栄今いづこ、景勝の浜埋め立てられ、魚競りの声威勢よく、響いた港何処へやら、漁業農業だけでなく、商に栄えたその町も、泣く子も黙る臨海の、工業地帯といふ名の怪物に、敢へも無く飲み込まれ、いつのまにやら腹の中、ぐずぐずもぞもぞしてゐると、山車と共にぐしやぐしやに、腸で潰され丸められ、糞といつしよに哀しくも、けつの穴からバイバイと、油に澱んだ海の中、ポイと捨てられはしないかと、他人事ながら余計にも、案じるよそ者の独り言、聞き附けた若衆言ふことにや、そんな心配要りませぬ、どんなに町が変はるとも、人の心までは変へられぬ、まつりを愛するこの気持ち、永久不変のイモータル、たとへ陽が西から昇ろうと、たとへ日本のプロ野球、消滅する日が來ようとも、我が故里のこのまつり、横須賀まつりだけは永遠に、護り続けてみせますと、威勢よく啖呵切る、仁王も斯くやのその姿、震へるほどに神々しく、畏れ入谷の鬼子母神、瞳の中に燃えさかる、メラメラとしたその炎、見詰めたこちらに飛び火して、焚き附けられた胸の内、横須賀去つても収まらず、ブスブス焦げる残り火に、もやもやガスは引火して、頭の薬缶沸騰し、チンチン煮え立つ湯で溢れ、蒸氣の力はパソコンの、キーをやたらに動かして、独り善がりの戯言も、書いて消される落書きの、ノートならば許されると、『横須賀まつり訪問記』、などと少々変竹林、妙なタイトル拵へて、思ひ附く儘なんとなく、書き始めたのはよかつたが、つまらぬ駄文も大歓迎、枯れ木も山の何とかなり、もつと書いてちようだあと、世界の七つの海よりも、広い心の持ち主の、管理人様の申し出に、驚き桃の木林檎の木、そんなバナナ、冗談は梨の木と、一度は断わろうとしたものの、折角の好意無駄にして、筆を折る、いや違つた、キーボード畳むのもつまらぬと、思ひ直して厚かましく、幾らか脇道に逸れ冗漫に、なつたとしても御勘弁、思ふ存分氣の済むまで、などといふ訳にやいかないが、たわ言吐くなとブーイング、耳に届くまでは失礼して、このサイトの一画を、氣儘な活字で汚すのも、何とは無しに一興と、ひとり勝手に納得し、氣の向く儘徒然に、日くらしパソコンに向かひて、そこはかとなくキー叩けば、あやしうこそものくるほしけれ・・・おつとつと、キーが上滑りして、前置きが少々長くなつてしまつたやうである。

さて、そんな訳で、ここまで書き連ねてきたこの『横須賀まつり訪問記』だつたが、上に述べたやうに、数回で打ち切るつもりが途中から方針変更、エイ、かうなつたら何処まで書けるか、書けるだけ書いてみようと、管理者に甘えて連載といふ形で構想も新たに書き進めてきた結果、小僧の回想の場面がつひつひ長くなり、横須賀まつり自体からかなりの間遠ざかつてしまつたやうである。まつりそのものを等閑に附すつもりは更更無いのだが、いざ書き出してみると、思つてゐた以上に回想部分が長く広く展開してしまつた次第。さうかうしてゐるうちに、横須賀では、元浜線を練つてゐた山車が全て横須賀公民館の前に集結し、これから『年少組お囃子コンクール』が始まらうとするところである。したがつて、この辺で一旦横須賀まつりの現場に戻りたい。小僧の回想には、この後横須賀まつりと関係の深い徳川光友公の霊が重要な役割を担つて登場する予定だが、そのやうな訳で、待ち草臥れた光友公には申し訳ないがもう暫く待つていただくことにしようと思ふ。

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