尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[30]


〜第30回〜
「すると、なにか、その子供の幽霊は埋められてゐる人体標本のゾンビ、ぢやなかつたキヨンシー化したものだと言ふのかい?しかし、みんな子供といふのは一体どういふ訳なんだ?」
「うむ、不思議なのはそこんところぢや。ワシには分からんが、何か訳があるのかもしれん。いづれにしても、キヨンシーならば事は少々面倒ぢや、昼間はおとなしいやうでも、夜、月が雲に隠れて闇が深くなると突然凶暴になるといふ。キヨンシーは凶暴化すると人間の生き血を求めるやうになる。生き血を吸はれた人間もキヨンシーになるといふから、これは抛つておくわけにはいかんぞ」
「本当か、それは?すると、いづみちやん、ぢやない、雪子ちやんがその犠牲者になるといふことも・・・それは大変だ!煙突童子よ、かうしちやおれん、今からオイラを彼女のところに連れてつてくれ。なんだ、何をニヤニヤしてゐる?さうではない。えへん、彼女だけではない、大勢の人間の命が危ないのだ。それを助けるためにも、まづ、彼女に事情を説明せんと、な。さあ、行こう!」

「ちよ、ちよつと待つてくれ。オレはこれから野球を見に行こうと思つておるのだ。神宮で中日対サンケイ戦がある。今日は小川健太郎※1が投げるやうだし。さう、中日のエースだ。オレにはどこと言つて贔屓のチームは無いが、あいつののらりくらりとした、人を食つたやうな投げ方が好きなんだ。独特のアンダースロウで飄飄とバツターを次から次へと討ち取る姿は一見の価値がある。それに、あの観客の殆ど居ない外野席の芝生※2の上に寝転んで、星空見ながら、ビール飲みながら、のんびり野球を見物するのもなかなか乙なもんだぜ。氣が向いたらサツクスの練習も出來るしな、ヘヘ」
「ナイター見物か。さう言へば、ここ暫く球場には足を運んでゐないな。中日と言へば、オイラの高校OBの本多さん※3は今ごろどうしてゐるのだらう。コーチになつたといふ話を聞いたことがあるが・・・ええい!それどころではない。野球見物してゐる場合ではないだろ。雪子ちやんが危ないのだ」

と言ふなり煙突童子の腕を無理矢理引つ張つて駆け出した小僧、穴八幡を出て三朝庵の前まで來ると、そこで豆腐小僧にばつたり出くわした。
「やつ、こりやまた御両人、そんなに慌てて何処へ行きやんすか?だが、ちやうどよいところで逢へたでやんす。アツシはこれから寅三郎兄さんと知多の方へ出稼ぎに行くところでやんして。なんでも亀崎とかいふところで勇壮な山車祭りがあるさうな。五輌の立派な山車が曳き廻されるさうでやんす。『潮干祭』と言つて、以前は海の中にまで山車を曳き入れたさうでやんす。が、堤防が出來てからはそれが出來んやうになつた、といふのがちいと淋しいところでやんすが、奉納されるからくり人形は言ふまでもなく、山車に施された精緻で芸術的な彫刻、これを見るだけでも十分楽しめるといふ話。神の字よ、アニさんの郷里も近いと聞く、どうな、一緒に行く氣は無いでやんすか?」
「亀崎?ふーん、知多にそんな祭りがあつたとは!なに?そのほかにも半田近辺には山車祭りが沢山あると言ふのか。それは知らなかつた。山車祭りと言へば尾張と思つてゐたオイラが浅はかだつた。今までのオイラは井の中の蛙だつたのかもしれん。うーん、それは是非、一度この眼で見てみたい。亀崎とやらに行つてみたい・・・が、いかん、いかん、今はそれどころではない」
と小僧は香具師の仕事にすつかりはまつてゐる豆腐小僧に事情を説明した。
「さうでやんしたか。その幽霊の話はアツシも聞いてるでやんす。それを都合のよいことに、怯えてゐる戸山の住人たちを立ち退かせてな、あの辺を一挙に開発しようと企んでおる地上げ屋が居るといふ話は知つてるでやんすか?なに、知らない?やはり、さうでやんしたか。これは大きな声では言へんでやんすが、その地上げ屋、裏で或る大物政治家が糸を引いてゐるといふ話。いやはや、全く、人間の世界には悪賢い奴が多いでやんすな。利権を漁る悪徳政治家といふものもなかなか無くならんで、反対に幅を利かせてゐる今の世の中・・・おつと、アツシはそろそろ行かにやならん。では、御両人、そのうちまた」
と言つて豆腐小僧は売り物にする味噌田楽用の味噌をしこたま担いでヒヨイヒヨイ足早に立ち去つた。その豆腐小僧に手を振つた後、両手を組んで暫し考へこむ小僧だつた。
「うーむ、人体標本にキヨンシーとかいふ奇妙な幽霊、裏で暗躍する地上げ屋に大物政治家か。どこでどう繋がつてゐるのか分からんが、何やら徒ならぬことになつてきたぞ、これは」

小僧注
※1 中日ドラゴンズ(1964−1970)95勝66敗 防御率2.62 31歳で初勝利。1967年29勝12敗で沢村賞。黒い霧事件で引退。
※2 この頃の神宮球場の外野席は全て芝生席であつた。子供は野球を見るよりも専ら花火などで遊んでゐた。
※3 本多逸郎 中日ドラゴンズ(1950−1965)外野手として1954年の日本一に貢献。1955年盗塁王。

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