「ふうーん、尾州の殿様がねえ。すると、その箱根山といふのは江戸時代に造られた人工の山といふことか。変はつたことをする殿様だな」
と言ふと小僧は大きな欠伸をひとつした。
「そのビシユウの殿様といふのはいつたい何者だい?」と煙突童子。
小僧がそれに答へて「うん、江戸時代の徳川御三家の筆頭である尾張徳川家の殿様のことで・・・ちよつとまてよ。その光友公、徳川光友は確か二代目の殿様ではなかつたか?」
「さうぢや、父は藩祖義直公ぢや」
「さうだ、思ひ出したぞ!その義直公と子の光友公が名古屋の祭りを大いに奨励したことから尾張の山車祭りは始まつたと聞いたことがある。東照宮祭の山車九輌が出揃つたのは光友公の頃だつたとか。うーむ、そのやうな祭り好きの殿様が何故にそのやうな山をこの江戸に・・・ふむふむ、ひよつとすると、その箱根山と尾張の山車祭りとの間には何か繋がりがあるのかもしれん。狛犬の村上さんよ、もつと詳しくその山のことを話してくれんか」
小僧は尾州徳川家二代目の殿様徳川光友の名を聞くと尾張の山車祭りのことが思ひ出され、その殿様が造つたといふ箱根山に何かひつかかるものを感じ取つた。
狛犬はワンと一つ吠へると南の方を前足で差し
「あそこに人間の大学の校舎が見へるぢやろ。あの校舎から裏手一帯はな、昔は尾州家の下屋敷があつた所ぢや。その頃、この辺は戸山村と言つて、田や畑ばつかりの所でな、その下屋敷は、そりやもう、途轍も無く広い敷地※1を誇つておつた。
尾州の殿様光友公はえらく変はつたお人でな、そのだだつぴろい屋敷の庭に東海道五十三次のミニチユア版といふものをお造りになつた。東海道の数ある景勝地をそこに再現しようといふ試みぢや。その庭には、宿場を模した町並みの他に、大小の池、築山、渓谷、田畑などが設けられ、寺社や休息するための御殿までが実際に建てられた。
そりやもう、他に類を見ない、大規模で豪華な廻遊式の庭園※2ぢやつた。その下屋敷は『戸山荘』と呼ばれ、見物に訪れる殿様連が跡を絶たない状態ぢやつた。
ま、手土産といふ形で入園料も取つておつたから、さう、デイズニーランドの魁ぢやな、要するに。残念ながら、今となつては、その庭園も拝むことが出來ん。その殆どが跡形も無く消え失せてしまつた。
唯一その面影を留めておるのが先程話しておつた箱根山、即ち玉円峰ぢや。その庭の中はもともと起伏に富んでおつたが、光友公はいちばん高い丘陵にお椀を被せたやうな築山を造られた。それを玉円峰と呼んでおつた。明治になつてから、誰ともなく箱根山と呼ぶやうになつたが、実際に、それが箱根の山を模して造られたかどうかは光友公に聞いてみないとな・・・」
小僧は、狛犬の話にじいつと耳を傾けてゐたが、心の中が何やらワクワクと浮き立つのを感じないではゐられなかつた。
「うーむ、それは凄い。いくら金と力があるとは言つても、そのやうな大掛かりな事を企てるには、自分の意図は間違つてゐないといふ固い信念と、思ひ附いたことを実際にやり遂げようといふ決断力が必要だらう。
その光友公、常人離れしてはゐるが、好き勝手仕放題の単なる我が儘な殿様とは違ふ、なんといふか、風流を解する大きな遊び心と言つたものを持つてゐた人のやうだな。ところで、その庭には祭りの山車とかは飾られてなかつたかい?ひよつとして」 |
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