尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[21]


〜第21回〜
その学校とは、ある天狗が京都大原に創立した妖怪の大学で、東京には分校もある。
小僧もそこの世話になるのだが、どのやうにしてそれが創立されたのか、その所以を、昔をよく知る小僧の婆さまが昔小僧に話してくれたことがあつた。
小僧がその大学を選んだ理由を知つてもらうためにも、その話しをここに再現してみようと思ふ。この訪問記をお読みの方の興味を引くところも少しはあるに違ひない・・・

むかしむかし、『おわり』の『ちたぐんとみたのしょう』というところにひとりのこえのうつくしいこどもがおった。
このこはうまれながらにしてすきとおるようなこえをしていたので『おんとくまる』となづけられて、とうじちからのあったごうぞくのおやのもとで、なにふじゆうなくそだてらておったが、ちょっとかわったこでな、ななつになったばかりだというのに、なにをおもったか、ぼうさんになりたいといいだした。

さいしょはおやもはんたいしておったが、このこのおもいはつよく、けっきょく、じゅうにになると『ひえいざん』へのぼることをゆるされた。
『ひえいざん』は『てんだいしゅう』のほんざんでな、おおきなおてらがある。
なまえも『りょうにん』となり、そこできびしいしゅぎょうをつみ、ぶってん、つまりぶっきょうのほんをたくさんよんだのじゃ。
そんなこともあって、『こうず』というたいへんえらいちいにまでしゅっせしなさった。

しかし、ぶっきょうのせかいもだんだんほんらいのみちをはずれることがおおくなってきた。おぼうさんたちもおかねをもうけることをかんがえるようになった。
きぞくのようにぜいたくをするようなおぼうさんもでてきた。せいりょくあらそいをするようになった。
ということで、それにいやけがさした『りょうにんしょうにん』は『ひえいざん』をおくだりになり、『ゆうづうねんぶつ』というあたらしいしゅうきょうをおはじめになった。

ひとりのねんぶつがおおぜいのねんぶつとゆうづうしあい、たがいにたすけあうという、それまでのぶっきょうにはなかったあたらしいかんがえかたによるたいへんありがたいしゅうきょうじゃ。
『しょうにん』は、しょこくをたびして、あらゆるひとにそのおしえをといてまわられた。そして、『きょうとおおはら』におちつかれると、そこにおてらをたてられ、でしをそだてるとともに、そのうつくしいこえをいかしてみずからさっきょくされた『しょうみょう』を、おおぜいのでしたちとともに、あさからばんまで、ごはんをたべるのをわすれてまでとなえられた。

『しょうみょう』というのは、おぼうさんたちががっしょうするおきょうのきょく、いうならば、キリストならぬほとけさまをたたえる『さんびか』のようなものじゃ。
その『しょうみょう』をうたうおぼうさんたちのこえは、それはもう、とてもうつくしいもので、まわりのくうきがともにすみきっていくのがわかるほどじゃった。
それをききつけて、とちのひとたちがおおぜいおてらにやってくる、しかさんやりすさんなど、どうぶつたちもやってくる、そればかりか、そのへんのようかいまでもが、そのおぼうさんたちのこえにこころをうばわれるしまつじゃった・・・

昔々、尾張の知多郡富田荘(現東海市富木島町)といふ所にひとりの声の美しい子供がおつた。この子は産まれながらにして透きとおるやうな声をしてゐたので音徳丸と名附けけられて、当時力のあつた豪族の親のもとで、何不自由無く育てられておつたが、ちよつと変はつた子でな、七つになつたばかりだといふのに、何を思つたか、坊さんになりたいと言ひ出した。

最初は親も反対しておつたが、この子の思ひは強く、結局、十二になると比叡山へ登ることを許された。比叡山は天台宗の本山でな、大きなお寺がある。
この子はそこで厳しい修行を積み、仏典、つまり仏教の本を沢山読んだのぢや。そんなこともあつて、名前も良忍となり、講主といふ大変偉い地位にまで出世しなさつた。

しかし、仏教の世界もだんだん本來の道を外れることが多くなつてきた。お坊さんたちもお金を儲けることを考へるやうになつた。
貴族のやうに贅沢をするやうなお坊さんも出て來た。お坊さんたちの間で勢力争ひをするやうになつた。
といふことで、それに嫌気が差した良忍上人は比叡山をお下りになり、『融通念仏』といふ新しい宗教をお始めになつた。

ひとりの念仏が大勢の念仏と融通し合ひ、互ひに助け合ふといふ、それまでの仏教には無かつた新しい考へ方による大変有難い宗教ぢや。上人は諸国を旅して、あらゆる人にその教へを説いて廻られた。
そして、京都大原に落ち着かれると、そこにお寺を建てられ、弟子を育てるとともに、その美しい声を活かして自ら作曲された声明を、大勢の弟子たちとともに、朝から晩まで、ご飯を食べるのを忘れてまで唱へられた。

声明といふのは、お坊さんたちが合唱するお経の曲、言ふならば、キリストならぬ仏様を称える賛美歌のやうなものぢや。
その声明を歌ふお坊さんたちの声は、それはもう、とても美しいもので、周りの空気がともに澄みきつていくのが分かるほどぢやつた。
それを聴き附けて、土地の人たちが大勢お寺にやつて來る、鹿さんや栗鼠さんなど、動物たちもやつて來る、そればかりか、その辺の妖怪までもが、そのお坊さんたちの声に心を奪はれる始末ぢやつた・・・
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