尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[18]


〜第18回〜
『横須賀』といふ地名に何やら感じるものがあつて、その由來を少しは骨を折つて調べてみたものの、思つてゐたほど成果が得られないで、少々げんなりしてゐた小僧の目を再び輝かせたのは、何氣なく見た或るホームページの記事だつた。
そこには、古代国家形成の舞台となつた飛鳥地方の『飛鳥』といふ地名は、古代朝鮮語で『村』を意味するといふ『スカ』に接頭語の『ア』が附けられて出來たといふ説が述べられてゐた。

大和朝廷から帰化人に与えられた姓の一つに『村主』(スグリ)といふのがあるが、それはその『スカ』から派生したものと考へると、何やら説得力がありさうな話だつた。
飛鳥地方に最も古くから住み着いたのは朝鮮からの渡來人であつたと傳へられてゐる。
そこで古代朝鮮語と大和言葉の関係も盛んに議論されてゐる。特に万葉仮名の成り立ちには古代朝鮮語が深く関わつてゐたといふ説が根強い。『飛鳥』といふ地名が古代朝鮮語に由來するといふことも充分考へられる。
そして、それが『横須賀』の『スカ』に結び附いてゐるといふことにでもなれば非常に面白い。
例えば、かういふことも考へられる。朝鮮から渡來した人々が海に面した大きな洲のあるところに集まり住んだとする。彼らにとつては、そこが『スカ』つまり『村』である。彼らは近隣の人々に呼びかける。『是非私たちのスカに遊びに來て下さい』と。
その『村』を意味する言葉はだんだんと周辺に傳はる。傳はるが、正しく傳はるとは限らない。すなはち、その土地の形状を意味する言葉として傳はる場合もある。
いづれにしても、『スカ』といふ言葉には二つの意味が含まれるやうになる。『渡來人の村』と『洲のあるところ』である。
しかし、前者の意味は廃れて後者が残る。そして、『横須賀』といふ地名が作られる。これは小僧の一つの推測に過ぎないが、そのやうな言葉の傳承経路があつたとしても不思議ではない。

といふことで、小僧は、もう一度古代朝鮮語から調べ直そうとした。が、すぐに頓挫してしまつた。
古代朝鮮語自体、不明な点が多く、殆ど解明されてゐないからである。
『飛鳥』の地名がそれに由來するといふ説は有力であつても、説得性のある裏付けを発見出來るまでには至つてゐない、といふのが現状である。
その『飛鳥』と『横須賀』の地名を結び附けるものを探そうといふのだから、小僧の試みは無知で無謀なものだつたのかもしれない。

地名の成り立ちを本格的に研究するには、過去に遡り膨大な資料を調査する必要がある。
それは、言はば、新大陸を求めて、広い海に小さな舟を漕ぎ出すやうなものである。
さうしたからといつて、満足のゆく成果が挙げられるかどうかも分からない。いづれにしても、計り知れない時間を必要とするだらう。
が、小僧にはそのやうな時間は無い・・・などと自分に都合よく言い聞かせて『横須賀』の地名のルーツを探ろうといふ遠大な試みから早々と撤退した小僧だつた・・・

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