尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[15]


〜第15回〜
「この辺りは昔はどんな風になつてゐたのだらう?」
小僧は、産業や工業の発達に伴なつて整備された元浜線を歩きながら、今は失はれてしまつた風景の変遷に興味を覚えた。
「元浜と言ふからには、海岸線が埋め立てられて出來た土地に違ひない。すると、以前はどんな海岸の風景が見られたのだらう?」

小僧は、朝早く、元浜線から海に向かつて西の方に広がる元浜公園の中を歩いたときのことを思ひ出した。小僧は早朝横須賀に着くと、山車が曳き出されるまでの時間を町の散策に充てたが、一度は海も見ておきたいと、元浜公園の方まで足を伸ばしたのだつた。『元浜』といふ言葉はそのまま海を連想させないではおかなかつたからである。

公園の入り口からは、長くて幅のあるコンクリートの道が西に真直ぐ伸びてゐた。
「ここを真直ぐ行けば海に出られるのだらうか?」
広い公園の中は伽藍としてゐた。土曜の午前とは言へ、人の姿は全く無かつた。
「ここには早朝に散歩する老人も居ないのだらうか?」
公園を訪れた小僧を迎えてくれたのは、公園の中に植ゑられた色々な樹木や草花だけだつた。
が、それらはいかにも人工的に植ゑられたといふ印象を小僧に与え、これと言つた興趣を小僧が感じることは無かつた。道の突き当たりにはアスフアルトで舗装された広場があつた。そこには鉄骨とコンクリートで造られた舞台が設けられてゐた。しかし、当然のことながら、演じる人も観客も居なかつた。その広場の真中に小僧はぽつんと立つた。少し離れたところに芝生が広がつてゐて、アスフアルトとコンクリートで創られた無機的な空間を和らげてゐた。芝生の向こうには一組の親子がのんびりとキヤツチボールをしてゐる姿が見えた。初秋の青空の下には長閑な、いや長閑過ぎるくらいの、少し寂しい風景がそこには広がつてゐた。

小僧が芝生の中に足を踏み入れると、海が見られるに違ひないと思つた方角に視野が開けてゐた。しかし、遠くに工業地帯の一画と建設中の高層ビルが見えるだけで、海らしきものは何も望むことが出來なかつた。耳を澄ましたが、海鳥の鳴声や船の汽笛の音は聞こえなかつた。時折、カーンカーン、キイ−ンキイ−ンといふ建設現場の機械音が風に乗つて聞こえてきた。それだけだつた。
「うーむ、海に出るにはまだまだ距離がありさうだな」
小僧はがつかりしてそのまま引き返したのだつた。

小僧はローソンの前に立ち止まると、南北に広がる元浜線の端から端までをゆつくり眺めた。
「まだまだここからは海は遠い。この元浜線が、その名のとおり昔は海岸線だつたとすると
うーむ、とてつもなく広い土地を埋め立てたといふことになるな・・・」
小僧は昔の横須賀を知らない。しかし、なんとなく想像出來るやうな氣がする。
「大きな近代化の波が、それも超弩級の津波のやうなうねりが、ここ横須賀に押し寄せたのに違ひない・・・・」

novaの独り言
現在の市道元浜線の東側の道沿いにずっと続いているコンクリートが、実は堤防の名残で、ここまでが海であった証である.
この市道元浜線は横須賀町方外であり、この市道に山車が曳き込まれるようになったのも、昭和60年代になってからだ.
訪問記を読んで久々に横須賀の海が見たくなった.愛宕神社から約1kmで海を見ることが出来る.ここまで来たのは何十年振りだろうか.
写真はほぼ真西を撮ったものだが、前方には埋め立てによって出来た陸地がこの先更に2kmほど続いている.ここは海ではなく太田川の新河口なのだろうか.
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