「もしもし、お兄さん、起きてちよー、起きてちよーでやあ」
「うううん・・・イツキ、イツキ・・・みなのしゆう、イツキだあ・・・はあ・・・
むにやむにや」
小僧は、夜行バスの中で充分睡眠が取れなかつたせいか、ビールを頂戴すると急激に眠氣を催し、そのまま路上で寝てしまつたらしい。家の外に出て来たお婆さんに体を何度も揺すられて、やつとのことで目を覚ました。
「うん?・・・ ココはドコ?・・・ワタシはダレ?・・・アナタはダレ?・・・おお、おぬしは砂かけ婆ではないか?」
「何を馬鹿なことを言つとりやあす・・・こんなところにいつまでも寝とつたら、そのうち車に轢かれるがや」
「こりや、失礼。そうかあ、ふむふむ、思ひ出したぞお・・・」
小僧はきよろきよろと周りを見渡した。が、小僧たち二人のほかには山車も人の姿も無い。
「で、山車は?山車はどうした、おばさん?」
「ダシとな? うちはたいてい化学調味料を使つとるが・・・」
そのダシではない
ううむ、やるなあ、おばさんも。よおし、横須賀の人はボケるのがうまいとノートに書いておこう
てなことを言つておる場合ではない。うん、元浜線に出て行つた?
元浜線といふと?・・・よし、あつちだな
小僧が元浜線と呼ばれる広い通りに出ると、大門組と公通組の山車が、例によつて子供や若衆に曳かれながら、アスファアルトで舗装された広い車道を滑るやうに周遊してゐるのが見えた。
遠くには北町組と本町組の山車も見える。元浜線の向こうには、海を埋め立てて造られたと思はれる広い元浜公園がある。その公園の先は太平洋に続く海である。
元浜線は車両の通行が一切止められてゐて、それぞれの山車は、誰にも遠慮すること無く、蔵から出されて久し振りの散歩を思い切り楽しんでゐるかのやうに見える。
祭りの間は山車が主役であり、殿様である。その殿様は、法被や半纏を着た奴(やつこ)や囃し方の家來を従へて、元浜線を悠々と闊歩して行く。
しかしながら、その殿様に見える周りの風景は、殿様が産まれてからずつと慣れ親しんできた昔のそれとは著しく異なつてゐる。そのやうな風景は既に無く、代わりに近代化の波に激しく洗はれた横須賀の風景が広がつてゐる。
その象徴とも言ふべき市道元浜線や道路沿いに建てられた高層マンシヨンを眺めながら殿様は何を思つてゐるのだらうか。
近代的な空間と江戸時代の様式をそのまま残してゐる山車との組み合わせには、何か、かう、妙な違和感があるが・・・
これも、伝統ある祭りが背負つてゐる宿命といふものだらうか・・・
しかし、見方を変へれば、その『現代』と『過去』のコントラストの妙が一つの面白い趣向を作り上げてゐると言へなくもない・・・
などと小僧が考へてゐると、目の前を「ワツシヨイ、ワツシヨイ」と黄色い声を嗄らして曳き綱を引つ張つて行く若い女性たちが通り過ぎた。
「おつ、あれは公通組の祭りギヤルだな
うーむ、女性軍が少ない中で、よお頑張つとるではないか
尾張の山車祭りは総じて祭りに参加する若い女性の数が少ない、これが欠点だな
関東の山車祭りは女性が主役と言つてよいほど、男より女の方が元氣なのに
横須賀のギヤルは数も少ないのでどことなく遠慮がちに見える
よおおし、小僧が赤組をもつと盛り上げてやろう」
と、小僧は女性たちに混じつて「ワツシヨイ、ワツシヨイ」と威勢よく公通組の八公車を引つ張り始めた。
と、山車の上山から「怪しい奴が居る」と小僧を睨む、刑事のやうな鋭い視線の数々。
それに恐れをなして退散する小僧。その様子を見て笑う前人形の信長様だつた・・・ |
|