尾張の山車まつりへ [横須賀まつり訪問記]−[8]


〜第8回〜
そのうちに、北町組、公通組の山車も動き出し、
「さあさあ、まつりが始まつたよお!みんなの待つてゐたまつりが」
「いつまでも寝てゐないで早く外に出て来なさい」
「そらそら、このお囃子が聞こえないか」
などと触れ回るかのやうに、土曜の朝のけだるさを残してゐる街の中を、それぞれの山車が、それぞれ長年守り抜かれてきた伝統あるお囃子を奏でながら、威風堂々と歩んでゆく。
そのお囃子はと言ふと、雅な華やかさの中に、言ふに言はれぬ物悲しさを漂わせてゐる。
関東の祭囃子には、獅子舞のときの囃子のやうな陽気で、米の豊作を心底祝ふやうな喜びに満ちた明るい調子のものが多いが、尾張の山車囃子は、能楽の影響を多分に受けてゐて、その旋律には能面のやうに人間の喜怒哀楽が微妙にブレンドされてゐる。
その、どことなく無常感の漂う、どちらかと言へば暗い影のある旋律は、街の人々の心の中に次第にじりじりと染み渡つてゆく。
その哀愁感はどこから来るのだらうか? それぞれの胸の奥深くに捨て置かれた哀しい記憶、懐かしい記憶を揺り動かすのは何か? 

小僧は、とある狭い路地を歩きながら、暫くの間しんみりとした気分に浸つてゐた。
「ううむ、この辺はオイラが生まれ育つたところによく似てゐるなあ」
「そうそう、あの頃は周りに子供が沢山ゐて、毎日日が暮れるまで一緒によく遊んでゐたなあ」
「缶蹴り、ビー玉遊び、ドツジボール、三角ベースの野球、楽しかつたなあ」
そのうち街はだんだんと開発が進み、道は全て舗装され、土筆や田螺の取れた田畑や野原や小川は無くなつて、跡には工場や団地が建てられ、子供たちは家族と共に次々と街を出て行き、最後には知つてゐる奴は誰もゐなくなつてしまつた
「あれから何年も経つてしまつたが、みんな今ごろどうしてゐるのだらう?」
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