亀崎の山車祭りは、初の日に神前神社から尾張三社へ渡御、また後の日には尾張三社より神前神社に還御する神輿に山車が供奉をする形式で行われます。
初の日に神幸の儀を終え神前神社を出発した神輿は、山車が整列する祭り広場に到着します。
そして神輿につながる紅白の綱と、供奉をする山車の先頭西組の大綱が結ばれ、神輿に続いて西組の山車から順次曳き出されます。
(神輿と山車の速度が違うため、実際には途中で神輿と西組の綱は解かれ神輿は先に尾張三社へ向かいます。)
後の日も同様に、神輿と先頭の東組の大綱が結ばれ尾張三社を曳き出されます。
お籠もり
大正6年(1917)まで荒天時を除き、尾張三社にお泊まりになる神様(神輿)に従い山車も三社に留め置かれたといいます。
現在では5輛の山車は人形技芸の奉納を終えると夕刻には曳き出され各組のサヤへ戻ります。
その際に山車の装飾(吹貫(吹き流し)と追幕を山車から外し、近くの金しゃち酒造(それ以前は伊東合資)に預けてから尾張三社を曳き出すことになっています。
またそれ以前は大幕なども預け、裸の山車で帰っていたそうです。
一夜明けた後の日早朝に、サヤを出た山車は囃子を入れず静かに尾張三社に曳き入れます。
これは潮干祭の巡行予定表にも載っていない山車運行で、三社に到着すると前日預けてあった吹貫と追幕を山車上に飾ります。
これら一連の装飾の脱着は防犯や山車保全から尾張三社に泊めおく事が難しいために、その名残を吹き貫と追幕を三社に残すという形で表現しているのです。
雨障子
雨覆ともいい、木組みに和紙に油をひいた油紙を貼り付けたものです。
尾張三社に一晩留め置く際、夜露をしのぐために使用されていたものと思われます。
この写真は田中組に保存されていたもので、平成16年(2004)に仮組みしたときのものです。