尾張の山車まつりへ [知多の山車館]−[亀崎秋葉社]

知多の山車館〜亀崎秋葉社  

03-10-28更新

 亀崎田中組の組事務所の脇に秋葉社があります.
明和3年(1766)の勧請と伝えられる、この秋葉社の拝殿内に間口110cm、奥行120cm、高さ120cm余りの本殿が納められています.
 小社殿ながら、総欅の入母屋造りは精緻な細工が施されており、天保12年(1841)立川和四郎富昌によって造立されたものです.
 立川常蔵昌敬はこの秋葉社拝殿に寝泊まりして、田中組「神楽車」の彫刻を製作したといわれます.

秋葉社本殿
半田市指定有形文化財


拝殿
拝殿内にある本殿


太平鰭「唐獅子」
蟇股「子持龍」
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右側面.脇障子は外されている.
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木鼻

子持龍
繊細な彫りが施された蟇股の子持龍は、立川常蔵昌敬の作と思われます.

おしま火事
 明和3年(1766)1月20日夜、田中(地名)の志満という寡婦宅より出火した火事は、『西ハ西組ト田中ノ境迄 東ハ石橋ト中切ノ境迄』(成田家文書)焼き尽くしたという.
これを「おしま火事」という.又13年後の安永8年(1779)にも「里火事」と呼ばれる同様の大火があったといわれます.
 北側に山、南側を海に挟まれた亀崎は、今でもその風情を残すように路地をはさんで人家が建て込んだ町並です.当時どの町でもそうだったように、火事ほど恐ろしい物はなかったでしょう.
 秋葉さんを勧請し、おしま火事から50年後の文化12年(1815)、100年後の慶応元年(1865)には大祭を行ったと伝えられます.

ご注意 この亀崎秋葉社本殿は一般公開されておりません.
当ページに掲載の画像は、特別に許可をいただき撮影したものです.転載・複製等はご遠慮下さい.

参考資料
半田市誌・亀崎町史

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