[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][龍宮珠取り伝説]

第91回 彫刻の題材〜龍宮珠取り伝説

豊田市志賀町壇箱
 今回は「龍宮珠取り伝説」について紹介しましょう。山車彫刻では波に海女と龍の図柄で構成され、豊田市志賀町の山車の壇箱(瀬川治助重定作)に見られます。
岩滑新田平井組「神明車」大幕
 知多では彫刻ではありませんが岩滑新田平井組の大幕の刺繍が同様の題材です。これは平井組の赤法被の図柄でその原画は初代彫常です。
 龍宮珠取り伝説は能の演目にも取り入れられ「海人(あま)」と呼ばれています。その物語を紹介すると、奈良時代の貴族、藤原房前は自分の母親が讃岐は志度の浦の海人で、その浦の房前という所で死んだという秘密を聞き、母の追善のため従者を伴って志度の浦を訪れ、一人の海人から昔話を聞きます。藤原不比等の妹が唐の高宗の后となり、氏
寺の興福寺へ賜った三種の宝のうち面向不背の珠をこの浦で龍宮に奪われてしまいます。藤原不比等珠を取り戻そうとこの地を訪れた折り、一人の海人と契りを交わし房前をもうけます。母の海人は龍宮から宝珠を取り返してきたら、わが子房前を藤原家の世継にするとの約束を不比等と交わし、千尋の縄を腰に付け、宝珠を奪い返しますが、龍宮からは追っ手の海龍が迫ってきます。ここで海人と海龍との宝珠の奪い合いになります。海人は死人を忌み嫌うという龍宮の習慣を逆手にとり、乳の下をかき切って宝珠をこめ、流れる血に戸惑う海龍の追求をかわして逃げ切りました。(血を忌み嫌うことについては講座「女人禁制」参照)と語った海人は自分こそがあなたの母の幽霊だと言って波の底へ消えて行きます。
 山車彫刻などに見られる構図はちょうど海人と海龍が宝珠を奪い合う、すさまじい場面です。龍と言えば山車彫刻で様々な部分に取り入れられています。この龍宮珠取り伝説・海人はそうした龍を上手く絡めた題材といえるでしょう。

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