名古屋市南区本地・星宮祭〜廻間組

安政3年に建造された当初の山車は、老朽化で曳くことが出来なくなり、屋根や一部の部材を残して解体廃棄されてしまいました.
そして、長らく山車のない祭りを経て、平成5年に保存されていたこれらの山車部材を使用して山車祭りを復活させました.
しかし、この山車は小型トラックを改造したものであったため、その後本格的な山車を保有したいとの機運が高まり、平成12年に復元に向け活動が開始されました.
 平成14年3月より保存会の奉仕により山車修復が始まり、同年9月に現在の山車が完成しました.

下の写真は安政3年に建造された山車の戦前の姿です.

「郷土の山車写真集」山田鉦七著より
全体に白木造りで,知多型のように前方に唐破風の前山を持ち,車輪は外輪で名古屋型のように輪懸で囲んであります.
いわゆる知多型外輪と呼ばれる混合型の形態で,東海市大田町や知多市岡田など,知多半島北部で見ることが出来ます.
本地の他町3輛が名古屋型であったにもかかわらず,最後に山車を新造したこの廻間の山車が,なぜ名古屋型ではなくこのような別の形態であったのか,不思議ではあります.




先々代の山車

解体前の写真です.
この時に詳細な図面を作製していたそうです.
その図面を基に新たに図面を起こして現在の山車は造られました.

先代の山車


小型トラックをベースにして車台に鉄材で柱を組んでありました.
内部はタネ車のままで、エンジン等の駆動系も生きていました.

これら旧車の部品は出来る限り再利用されています.
右は脇障子ですが、安政の建造以後に前山部分が改造されたようで、脇障子が途中で切り接ぎされ、寸法が短くなっています.


修復作業の様子
旧車から使える部材は外して洗いにかけ、再利用.

前山の屋根裏に大正3年に前棚を修理した墨書が残されていた.
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