名古屋市南区本地・星宮祭

本地祭り(星宮祭)は南区本星崎町にある星宮社の祭礼です.
この星宮社は古く舒明天皇9年(637年)の創建といわれ、降ってきた星(隕石)を祀ったのが星宮社の起源とされます.

現在の祭りは,旧本地村(現在の南区本星崎町)と本城町・星宮町が中心になって行われていますが、最大の特徴は、 昭和30年に1輛、平成になって相次いで建造された3輛と、この地方には希有と思われる、近代になって再建された山車が続々と登場したことでしょう.

宝暦5年(1755)の尾陽村々祭礼集には4輛の山車が曳かれていた事が記されており、昭和43年までは廻間・田古屋・町・大道の4組の山車が曳き廻されていました.
長く伝えられてきた山車祭りでしたが、山車の老朽化と祭りの担い手の減少により山車は昭和43年を最後に曳かれなくなりました.

いったんは山車曳きの中断で往時の姿を見ることは出来なくなった本地祭りですが、平成になって本格的な山車祭り再興の機運が高まります.
まずは、平成4年に町組が解体されていた山車を組み立て朽ちた車輪を交換し復活します.また田古屋組も保存していた山車の屋根を小型トラックに載せ、まわりを幕で覆って昔の山車に似た姿に見えるようにして曳き廻しを再開しました.
その翌年には廻間組・大道組も、田古屋組と似たような形態の山車を作り、形態はともかくかつての4輛の山車が揃うようになりました.
そして平成12年になると、田古屋組が旧車の一部を利用して本格的な山車を新たに建造し、廻間組も平成14年に山車を再建、大道組が平成16年に新造したことにより、本格的な山車4輛の姿が甦えったのです.
更に特筆すべきは平成の再建3輛は地区の有志が週末を利用してコツコツつ作り上げてきたことです.トラックに山車の屋根を乗せたりして祭りが絶えることなく続けられたことが、今日の山車再興に繋がってきたのは間違いありません.

なお、本城町、星宮町はトラックベースの山車で祭礼に参加しています.
平成10年の祭礼から加わった「雷車」は、当初は神事色の無い曳き廻しが行われていましたが、ここ数年は飾り付けのみとなり、平成19年から名古屋市博物館に保管されています.

江戸時代の星宮祭

五日、本地村祭。車三輌あり。大道組、田古屋組、町組、各屋形欄干結構にして、幕、水引も美なり。神前に揃ひて、操(あやつり)をなす。町組には、人形からくりあり。


「名古屋名古屋叢書三編「第7巻」より

江戸時代末期の尾張藩士高力猿猴庵によって書かれた『尾張年中行事絵抄』の巻十一秋之部八月上に本地の祭りの様子が描かれています.そこには山車が三輛並んで描かれています.いずれも唐破風屋根を四本柱で支える尾張系の山車のようですが、下部が描かれていないので輪掛の有無は不明.
山車の正面に書かれた文字から、大道組・町組・田古屋組の三輛で、町組の上山にはからくり人形が乗っています(演題は不明).
また田古屋組の前棚には2体の人形が乗っています.前述の尾陽村々祭礼集に記載されている廻間組の山車がなぜ描かれていないかは不明.

伊勢音頭

本地の祭りで一際目を引く伊勢音頭.山車の停車中に山車の前で押し合いながら伊勢音頭を唄います.
昔は、その品のない風体や乱暴な様子から「本地のけんか祭」とか「本地の土方祭」などと呼ばれたそうです.


山車の詳細

廻間組 田古屋 町組
平成14年建造 平成12年建造 昭和30年頃建造

大道組 雷車
平成17年建造 昭和37年建造
本城町 星宮町

トラックベースの山車

平成17年に大道組の山車新調にともない、
旧車を譲り受けたトラックベースの山車
参考資料: 広報名古屋「昭和57年10月号」他
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