亀崎潮干祭~西組 花王車

西組花王車は「寛政年間粗末な山車を造り祭礼に使用せり。之が当山車の始めなり。」(西組のあゆみ)とあり寛政年間(1789~1800)に創建されたとされます。
現在の山車は弘化3年(1846)に建造されたものです。

言い伝えによれば、文政年間(1818~)に諏訪の彫刻師立川和四郎富昌が亀崎に来た折りに山車各部に宮造り式の彫刻を依頼、2年余りかけて完成したといわれます。
和四郎富昌による壇箱「太平楽、楽人」や脇障子「葡萄取り仙人」が斬新な手法で目を引きます。
また大幕・水引幕も山車との調和を保つため図柄を和四郎に一任し、その指示で下絵を月僊が作成したといわれます。

からくり人形は前棚に神官(初の日)と石橋(後の日)と2体を使い分けています。
上山人形は「桜花唐子遊び」で、桜の枝にさがった綾棒を唐子人形が次々に渡る、いわゆる「綾渡り」の離れからくりです。

現在の山車の新造に伴い旧車は弘化5年(1848)に半田市板山の大湯組に譲渡され、板山神社の祭礼に曳き廻されていましたが、この山車はその後昭和2年(1927)に北粕谷(知多市)に再び譲渡され現存します。

知多市北粕谷の花王車
北粕谷に保存されている木箱に「文政八酉八月 前二重臺 西組」の墨書があることから、文政8年頃(1825)に建造されたと思われます。この山車は金箔や彩色を施した古い様式の知多型で貴重な山車で、山車彫刻は彫長こと早瀬長兵衛によるものです。

■建造
弘化3年(1846)
■主な彫刻
壇箱:太平楽楽人」(立川和四郎冨昌)
 
脇障子:「葡萄取り」(立川和四郎冨昌)
 
蹴込:「布袋の袋曳き」(初代彫常)
■山車幕
大幕: 猩々緋に雅楽楽器の金刺繍 (月僊下絵)
 
水引幕:御簾の金糸刺繍 (月僊下絵)
 
追幕:「後醍醐天皇笠置落の図(月僊下絵)
■からくり
前棚人形:神官(五代目玉屋庄兵衛) ・石橋
 
上山人形:桜花唐子遊び (平成31年復元)

■花王車の詳細

■桜花唐子遊び

桜花唐子遊び

桜木から下がった綾(あや)に唐子人形が手足を交互に掛け次々に渡っていくもので、「綾渡り」と呼ばれる難易度の高いからくりです。

西組の綾渡りが特徴的なのは綾の数が7本と多く、更に進行方向が途中で90度変わることから更に見応えのあるからくり演技となっています。

弘化5年(1848)と推定される祭礼図『尾張名所図会附録ー小治田之真清水』にこの綾渡りと思われるからくりが描かれており、その頃には既にこのからくりが行われていたと推測されます。

■花王車の曳き廻し

後の日~海浜曳き下ろし

17-05-04


初の日~海浜曳き下ろし

15-05-03


後の日~海浜曳き下ろし

17-05-04


初の日~海浜曳き下ろし

17-05-03


初の日~海浜曳き下ろし

17-05-03


初の日~曳き上げ坂

17-05-03


初の日~曳き上げ開始

17-05-03撮影


初の日~曳き上げ坂

16-05-03


初の日~旧大店坂

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初の日~尾張三社曳き込み

17-05-03撮影


初の日~尾張三社曳き込み

16-05-03


後の日~尾張三社曳き出し

17-05-03撮影


初の日~交番前

17-05-03撮影


後の日~尾張三社曳き出し

15-05-05


後の日~尾張三社曳き出し

19-05-04撮影


後の日~尾張三社曳き出し

17-05-04


後の日~交番前

19-05-04撮影


後の日~県社曳き廻し

15-05-05


後の日~県社曳き廻し

17-05-04撮影


後の日~県社曳き出し

16-05-04


後の日~中町

19-05-04撮影


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