半田市乙川地区~殿海道山「源氏車」~山車彫刻1

壇箱「樊噲(はんかい)の門破り」

立川和四郎富重

紀元前一世紀頃の中国、始皇帝が打ちたてた秦帝国の滅亡末期の事です.
楚王から項羽と劉邦に秦への進撃の命が下り、彼らは東西二手に分かれ進撃しますが、先に秦の都咸陽(関中)に入ったのは劉邦でした.
兵力・家柄に勝る項羽にとって関中王を名乗った劉邦を許せることではなく、劉邦を攻めようとしますが、項羽の叔父項伯が劉邦軍に付きしたがっていた親友の張良を助けるために知らせに走ります.

項羽軍の進撃をしった劉邦はとてもかなわないと、臣下となる旨を伝え、自ら釈明に項羽軍の陣に行きます.
項羽軍が陣を張っていた鴻門で行われた項羽と劉邦の会談が鴻門の会です.

劉邦の項羽への釈明も終わり酒宴が催されますが、項羽の軍師范増は劉邦が項羽にとって後に驚異的な存在になると見抜き、この場で殺そうと項荘に酒宴で剣の舞をさせ、スキを見て殺すように指示します.
親友張良を助けようと項伯が舞の相手を買って出て、劉邦を殺そうとする項荘と、劉邦・張良を助けようとする項伯の剣の舞のぶつかりあいが繰り返されました。

次第に項伯に疲れが見え、このままでは防ぎきれないと見た張良は厠に立つ振りをして、陣の外で待機していた樊噲に劉邦の危機を知らせます.范増の計で将兵は陣の外で待たされていたわけですが、劉邦の危機を救おうと樊噲は陣門を破り、門兵を押しのけ酒宴の席へ侵入します。

壇箱に彫られたのがこのシーンで、右端に盾を持った樊噲.少し見づらいですが、奧で剣を持っているのが項荘と項伯でしょう.

突然の侵入者樊噲によって剣の舞は終わってしまい、無礼であると怒った項羽は樊噲に何事かと問いただします.
それに対し樊噲は「めでたい席に自分たち共の家来には何の振る舞いもない.空腹が我慢ならず陳情に来た」と返答します.
項羽も悪かったと納得し、樊噲に酒と肉を与えます.
この時、樊噲は大杯で酒を飲み、盾の上に肉を置いて剣で切って食べたと言われています.(彫刻の樊噲も盾を抱えています).
その後、項羽と樊噲は酒の飲み比べをしますが、項羽が酔いつぶれた隙に劉邦は自分の陣に引き返し難を逃れました.(祭吉の山車祭り講座より抜粋)


壇箱正面奧

壇箱中央部

壇箱右側面

壇箱左側面

前山高欄蕨手

前山高欄蕨手

脇障子 「風神雷神」

立川和四郎冨昌

源氏車の脇障子は和四郎冨昌の傑作といわれる「風神雷神」ですが、山車の曳き廻し中と八幡社・若宮社に留め置かれる時には、脇障子の入れ替えが行われます.

曳き廻しの際は初代彫常作が使われ、神社では冨昌の「風神雷神」が飾られます.

脇障子 「風神雷神」

初代彫常

台輪
「波」

蹴込
「鴨」

嘉永6年(1853)

持送り
「合戦出陣」

嘉永6年(1853)

 
山車彫刻2